欲求が義務になる
これ、書くのしんどいんだけど。
もう感覚器のツボ凝ってるから書きたくないんだけど
これも私の中の義務みたいな感情なんだろうか。。
(注: 病みnoteです)
おさーんに会って病むという
なんともメンヘラでして。
私はおさーんとごはんを食べるのが好きで
もはやそれだけを楽しんでるような人生の一時期なんじゃないかと思ってた。
どこかの noteに書いた
おさーんにあう1日のために、ビールが美味しくなるように喉をカラカラにしているような日々だと。
実際はそんなことなくて、酒もぐびぐび飲んでる。
でも、そんなこと思うくらい楽しみだった。
だったはずなのに。
最近、すごく苦しかった。
おさーんと何を食べようかと考えることが楽しくなくなってしまった。
それは、じわりじわり蝕んでいったんだ。
おさーんに美味しいと言われたいし喜んで欲しい。
でも、おさーんは美味しいと言うけど、そんな顔に見えなかったり。
エンパスぎみだし、脳科学を勉強してしまったので脳科学的に相手の反応から気付いてしまう癖がある。
誰かの世界でおさーんが美味しくて喜んでると、私とのごはんはそのテンションより低かったな、本当はガッカリだったのかな。
ならば、次こそはもっと喜んでもらわないと。
おさーんの好きな豚肉料理を探さなきゃ。
次はこういう依頼もいいねみたいなこと言われると、楽しいイメージより頑張らなきゃいけないんだって気落ちする。
頭の中が次でいっぱいで美味しいっていいながら食べる行為が義務になる。
そうやって少しずつ楽しかった食事が義務になってしまった。
元々、私は家族とのごはんが楽しいことがなくて他人の何倍も強い憧れがある。
憧れの楽しいごはん
だけど、どうやって楽しんだらいいのか分からないんだ。
たぶん、不思議なことを言っているに違いない。
楽しくごはんを食べるということに手こずるという。
美味しいから食べて、楽しいと感じる。
相手を気にするあまり、これができなくなってしまう。
どうしたら、この生まれてしまった義務を手放せるのかなって考えて。
おさーんにもう一緒にどこかで食べるのをやめると伝えた。
好きなものをテイクアウトして持参してくれと。
私はただ一緒に食べたいだけだから、お互いに好きなものを食べたらいいんじゃないかと。
おさーんの好きそうなお店
自分の食べたいものをすり合わせる思考が
楽しいから遠ざかる気がする。
おさーんを気にしてしまうから、まずはそれをやめようと思う。
私はマクドナルド でも誰かと食べれたら嬉しかった人間。
あの感覚になりたい。
普通な食事を誰かと食べて喜びたい。
これがいい対策なのか、よかったのかは分からない。
まだ試してないし、おさーんからDM返ってこんしね。
もう10時間も私はスルーされている。
嫌われてるんよ。きっと。
あ、また気に病んでしまう。
やっぱ、病み noteで終わってしまった。