痛みから視えたモノ
人間は案外変わらないし
しっかりしてない人間に囲まれていれば、自ずとしっかりしている人と認識されている。
しっかりしているように見せとけばいい。
しっかりみせて、自分らしく遊ぶように仕事して
たまに弱者を救う使命に取り憑かれて。
本質を見抜いては、またしっかりしてない自分でゆったり過ごす。
相手の思うツボにならないで
私の思うツボになるん。
人一倍の理性と
人一倍の感情を
私は行き来できるから。
私がそれでいいならいい。
ふと、昨日思った。
↑歯が痛いときにね。笑笑
熱も上がらず無事に仕事に行き、前日職場に話していたから、みんなに仕事を期待されてなくて。(スタッフの人数も多くて)
あ、こんな感じで仕事していいんだなって思って。
だって、私って存在だけでここの職場
助かってるじゃんかって。
何をしっかりしなきゃと見せてたんだろなと。
前職の正社員よりはもちろんゆるくやってる。
けど、心の中はたった一人でここを仕切らなきゃと思いがち。
あの人はこれが得意でも、こっちは不得意だから私がサポート入って、だから何時にはこの仕事終えなきゃとか。
そんなんばっか考えて
私は隙のない、スキマを埋めることばかり考えて。
自分の仕事がちゃんとできていないことが見えると、なんか気落ちしたり、そらサポートに時間取られてできるわけないと開き直ったり。
そんな余計な疲れがあったら
ナマケモノ体質の私は休日なーんのチカラも残らなかった。笑
どうなんだろね。
今まで真面目に仕事をしたことを評価されて自信に繋がってる部分もある。
真面目すぎて、前職なら最年少で主任にあがる話すら出ていたらしい。
それは評価されて嬉しい
けど
すごく犠牲にして成り立っていた仕事の仕方で危険だったなとも思う。
(鬱まっしぐら、レッゴー!だったな)
誰かの評価を直接気にしなくても
誰かの評価を感じながら仕事する
正直、誰かに褒められたいだけで、給料に興味はなかった。
余った給料を親にあげて、私は必要な存在なんだと思って欲しかった。
今思えば、それだけで10年働いてたんよ。
執念恐るべし。。
親は金を渡しても褒めないんよ。
わぁ、悪いねとは言うよ。でもそこから自分の苦労話で終わるの。笑
この時点で私の歪んだ欲求は満たされてないんだけどさ。
でも、あげないとずっと不幸な話を聞かされるし両者にとってウィンウィンな気がしてたんだよね。ベストじゃないけどベターみたいな
よく寄付すると厄払いというように体の病気はほとんどしなかったし。笑
(モノは考えようよね)
今は、もう連絡とってないから、
聞きたくないなら、連絡とらないという手段があったのか!と思ってる。
(それはおさーんのアドバイスのおかげ)
話を戻して
私は私の居場所を他人のどこかに作りたかったん。
あなたにとって、いてくれたら嬉しいよね?
そうでしょ?だってあなたの欲を満たしてあげれるもの。
そんな考えがあったんだ。
私は今
他人のnoteやブログ、ツイッターやオンラインで知りたいセミナーを見て
いろんな人の経験や感情を体験してる。
みんな痛いことあるよね。
痛みを吐き出してる。
吐き出して得ようとしている。
自分らしくていいし
自分のルールをゆるく信じて生きてる。
誰かのルールを知り、自分はワクワクするかなって考える。
違和感や怒りにも似た感情があればそのルールはやらないし。
試してみたかったらやる。
試す時、きっと恐怖もついてくる。
そこは、しゃーない。
やるしかない。
どんな結果でも note書いたら
チャラになるから。
↑これが私のルール。笑
だからね、みんなピンときたらやってみ。
悲しいことも嬉しいことも
noteに書いたらチャラになるから大丈夫だよ。
笑笑