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【#7】「地上の地獄」収容所をめぐって~コンダオ諸島/ベトナムで1番きれいな海
午前中に博物館を堪能し(#6)、マーガリン焼きという魔性の昼食(#5)を食べ、いよいよ収容所を巡る。
収容所の場所
マルチチケットで入場出来る収容所は3か所。チケットに記載されたベトナム語はGoogle mapとも表記が異なり混乱したが、その都度係員にスマホを見せながら特定した。立地を含めて迷ったので以下にまとめておく。
1.フートゥオン収容所 Trai Phu Tuong
1940年フランスによって建てられた有名な「トラの檻(Tiger Cage)」がある最大規模の収容所。
博物館すぐ右隣りの区画にあり、Google map上ではCon Dao Prison 、Phu Phong Campとも記載があるが、Trai Phu Tuongの場所が入り口になる。
2.フービン収容所 Trai Phu Binh
1971年にアメリカによって建てられた1番新しい収容所。アメリカ式の「トラの檻」がある。
海岸線のメインストリートから左に入った小道の先にある。
3.フーハイ収容所 Trai Phu Hai
1862年にフランスによって建てられた最古の収容所。
建設後に何度か名称が変わっていて最終的な名前はフーハイになったが、建物入り口にはTRAI PHO SONと書いてあり、入り口もGoogle map上のPhu Son Campの位置にある。
収容所群は比較的中心部に集まってはいるが、地図上の一区画がとんでなくデカいので歩いて回るのは困難だ。
レンタルバイクを借りておいて良かった。バイクならばそれぞれ5分ほどで回ることが出来る。
ちなみに収容所には売店や自販機などは無い。炎天下の屋外見学なので、飲み物の持参と帽子などの日差し対策は必須だ。
フートゥオン収容所 Trai Phu Tuong
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1番有名で1番人気
午前よりも午後の方が日差しが強い。サンサンを通り越してガンガンと照り付ける太陽。まるでトースターに入れられたように肌がジリジリと焼かれ、全身をうっすらと汗の膜が包んでいる。
入り口が分からず外壁に沿ってグルグルと2周してしまったが、この区画がとにかくデカい。
まばらに人影が集まっている南東の角がどうやら唯一の入り口のようだ。
バイクのまま近づくと、通りからは見えなかった駐輪スペースがあり、10数台ほどバイクが停められていた。
バイクを停め、入場の準備をしているとマイクロバスが乗り付けられ、ぞろぞろとベトナム人の団体客が降りてきた。個人で来るよりはツアーで訪れる方が一般的らしい。
収容所群の中でもここは有名な「トラの檻」があり1番人気だ。ツアーで組み込まれているのもここだけで、私たちの様に複数か所を巡るのはめずらしいらしい。事実、ここは混んでいるとは言えないまでもそれなりに人出があったが、他の収容所はほぼ貸切状態だった。
ツアー客が着くとどこからともなくジュースを大量に持った売り子たちがやってくる。ホーチミンのように屋台ではなく、客が来たらどこからかやってくる放浪スタイル。氷が溶けずに大量に入っているので彼女らの待機場所は近いのだろう。
つば広の帽子を被り、華やかなワンピース姿のマダム達がジュース片手に入り口前で次々と記念撮影をしている。鉄条網の付いたボロボロの石壁の前で。そんな姿を横目に重い門扉をくぐり中へと入っていった。
タバコの煙る集団房エリア
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収容所内には中庭を取り囲むように大きな細長い平屋建ての建物が建っている。敷地外壁に比べて、なんというか整然としてきれいだ。オレンジ色の瓦がなんだか沖縄を思い出させる。
近づいて見るとやはり比較的新しい。屋根や建物の外壁は塗装を直すなどして修繕されているのだろう。
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建物には一か所だけ入り口があり、入ってみると鉄格子で塞がれていた。集団房だ。
コの字型の通路の周りが一段高くなっており、そこに等間隔で鉄の輪が付いている。ここに通した鎖に囚人の足かせを繋ぐためのものだ。
天井が高い為、そこまで閉塞感はない。明り取りの窓から強い日差しが差し込んでいるので思ったよりも中も明るい。
違う建物に向かうとそこには鉄格子が無く中に入ることが出来た。
実際に中に入って通路を歩いてみると先程とは違い、ズンと胸に来る重さを感じる。視界は明るいはずなのに、徐々に色味を失っていくような奇妙な感覚。ガランとした空間に一人立っていると、ここに残る思念の様な物が押し寄せてくるような感覚になる。
多い時には1つの房に200人近くが収容されていたという集団房。トイレも無く、小さな明り取りの窓が一つだけの空間。コンクリの上で鎖につながれて何を思い、何を胸に耐え抜いたのだろうか。
コンクリ台座の至る所に火のついた煙草が置かれていた。供え物なのだろう。線香ではなく煙草。供えている現場を見ることは無かったが、恐らくはベトナム人男性によるものだろう。
誰もいない場所で燃え尽きていく煙草がそら悲しい。
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絶望の「トラの檻」エリア
集団房が立ち並ぶエリアの奥の方に、その存在を隠すようにひっそりと小さな扉がある。人が次々と吸い込まれているのでついて行ってみると、敷地の奥にまた別の建物が現れた。
2階建ての瓦ぶきの建物とその向かいにはボロボロに朽ちた壁が並ぶ。
ここが有名な「トラの檻(Tiger Cage)」のエリアだ。
1970年視察に訪れた米国下院議員たちにより偶然発見に至ったという外部から隠されたエリア。その時撮られた写真がLIFE誌に掲載され、ここの存在が明るみに出たと言われている。
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右側のボロボロに朽ちた壁の方は屋外房だ。
中は4m×6mくらいの長方形で、石をモルタルで固めたような壁は見るからに当時のままの状態だ。
中に入って見上げてみると入り口の上には細かく割られたガラス瓶の破片が並んでいる。今でも鋭利さを保ったままのガラス片が日差しを浴びて輝いている。これを1つ1つ手作業で埋め込んでいる姿を想像すると恐ろしい。
灼熱の炎天下。石の壁は触っていられない程に熱い。実際、持参していたペットボトルの水はもう湯冷まししたぬる湯のようになってしまっている。
時には激しいスコールも降る中で野ざらしにされる過酷な房だ。さらには拷問も行われる。
ここに入れられれば死なない方が難しいだろう。懲罰房のように使われたのだろうか。ここにずっと長く人が居続けられる気がしない。
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屋根付きの2階建ての建物は端に階段があり、上ることが出来る。片側に30ずつある小さな房が左右に整然と並ぶ異様な光景。
まるで動物園のように見えることから、ここが「トラの檻(Tiger Cage)」と呼ばれている。
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狭い房には地面とベッドの様に高くなったスペースにそれぞれ足を固定するための拘束具が付いている。多い時にはこの1つの房に6人も収容されたというから驚きだ。身動きの全く取れない状態で。
そして騒ぐと上から看守に棒でつつかれ、石灰をかけられたという。
石灰に水をかけると化学反応を起こす。高温で発熱するので囚人はやけどを負い、その強いアルカリ性で皮膚や粘膜に大きなダメージを負うことになる。
ここに繋がれて五体満足な囚人はいない。皆ひどい傷を負い、体の一部が欠損し、死ぬまでここに入れられ続ける。男性だけではなく女性の囚人も。これが悪名高い「トラの檻」。なぜトラなのか。拷問にも屈しない不屈の囚人達を闘士としてトラに例えたのだろうか。
1階部分には黒く重い鉄扉がずらっと並んでいる。いくつかの房には人形が設置されており、それぞれ中に入ることも出来る。
人形のいない房に1人で入って扉を閉めてみた。
なんということだ。息苦しい。先程の集団房よりも濃厚に、滞り続けた思念というか情念のようなものに押し潰されそうだ。
次第に浅くなる自分の息づかいに覆い被さるように、ハウリングした叫び声が聞こえてきそうな気すらする。
あまりの重圧にパニックを起こしそうになり、急いで外へと出た。
さすがは「アジア最強の心霊スポット10選」。
不謹慎ながら、若い時分にはいわゆる心霊スポット巡りなどをしていたものの、こんな感覚になったことはない。あまりにもリアルに感じる人の気配というか残穢というか。
こういった方面にはとんと鈍い相方も粟食って飛び出してきた。私だけの勘違いではなく、確かにここにはすごい何かがあるようだ。
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ちなみにトラの檻はすぐ隣に2号棟があるが、こちらは壊されている。
戦争末期、アメリカによって証拠隠滅のために破壊されたそうだ。それを知りながら見ると感慨深い。
戦争犯罪の証拠隠滅は各地で行われている。虐殺事件で有名なソンミ村でも、事件後に村がブルドーザーによって遺体ごとならされたと、見学に行った際に聞いた。
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1時間ほどで見学を終えた。
今まで国内や海外でいくつかの刑務所跡を見学したことがあるが、ここが1番凄かった。
大々的に観光地として整備されておらず、一部塗装の修繕などはされているものの、多くは当時のままの状態で残されている。そのまま屋外にあるためボロボロで、建物の屋根にはコウモリが住み着いている所もある。
剥がれ落ちた壁、そこに出来たシミ、紫外線で色褪せた人形。そんな剝き出しの状態がより強く当時を想起させる。
そして今もなお、強く残り続けている当時の空気感。肌から突き刺すようなリアリティがあった。
フービン収容所 Trai Phu Binh
2か所目はアメリカが作った収容所に向かう。ここは1970年建設と収容所群の中で1番新しい所だ。
メインストリートに面しているフートゥオンとは違って、砂利の脇道に入った先にある。案内なども出ていないから、見逃してしまいそうな程ひっそりとしている。
入り口に係員がおらず、チケットも確認されず素通りで入場出来てしまった。人が来ないのだろう。確かに先程とは打って変わって閑散としている。先客にベトナム人の団体客がいたが、彼らも入り口周辺をサラッと見学してすぐに帰っていった。その後は欧米人ファミリーを一組見ただけで、ずっと貸切状態だった。
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明るい集団房エリア
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細長い平屋建てという建物の基本的な造りは変わらない。
だがここの集団房は天井近くにずらっと窓がついていてとても明るい。
中に入っても閉塞感をあまり感じず、まるでキャンプ場のような雰囲気さえある。水場かトイレか、何らかの機能性があったであろう場所も房内にある。壁に等間隔で開いている穴が気になったが、用途が分からなかった。
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この収容所はAからHまで区画分けされている。
中に入ってそれぞれの建物を見ると、壁で仕切られた隣合わせの区画は完全にシンメトリーだ。
近代的に整然としている。他の見学者もいないので、まるで公園施設でも見学に来たかのように錯覚してしまう。同じ収容所なのに、全く悲壮感を感じないのが不思議だ。
アメリカ製「トラの檻」エリア
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奥に進むと建物の外観はほとんど変わらないが独居房になる。
ここがアメリカ製「トラの檻」と呼ばれている。
フランス製と違い、鉄扉が屋内にあって、人一人通るのがやっとという細い廊下の左右にびっしりと房が連なっている。
看守が上から管理していたらしいが、今は上ることが出来ないので下から仰ぎ見るだけだ。
房内には人形の設置なども無く、中に入ってみても先程のように重苦しいものは感じない。今までに見てきて普通の刑務所といった趣だった。
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サクッと見学を終えてしまった。
なんだろう。ここには重い空気や悲壮感がない。
外に出て鳥の声を聴きながらさわさわと風に揺れる木々を見ていると、ある種の爽やかさすら感じる。
15:00近くなり、幾分日差しが柔らかくなったせいもあるのかもしれない。ただ冷静に見渡すとやはりここには木々が多い。視界に緑が多いのだ。
そして先程は敷地の外周が全て高い石壁で囲まれていたのに対し、こちらは鉄条網のみで見通しが良いため閉塞感を感じにくいのだろう。
後年に造られただけあって環境や人権に配慮したのかもしれない。それかお国柄の違いなのか。ここはまさしく英語で収容所だけでなく陣営なども意味する「Camp」らしい場所だった。
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フーハイ収容所 Trai Phu Hai
最後に行ったのは1862年にフランスが建てた最古の収容所。
年代順にまわれれば良かったのだが、各収容所の見学にどれくらい時間がかかるか自分で自分が読めなかったので、優先度の高い順に回った結果こうなった。
領主の邸宅にほど近く、街中の一角に突然現れる見るからに古い壁で囲われたエリア。
チケットにはTrai Phu Haiと書いてあるが、入り口にはTRAI PHU SONとあるので分らなかった。ここがフーハイ収容所で合っているそうだ。何度か名称が変わっているせいなのだろう。
先程のフービンと違い、ここにはチラホラと見学者が来ている。係員もいてチケットはしっかり確認された。
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看守詰所と教会
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街中にあるのに中は広い。
中庭を取り囲むようにして集団房のある建物が建っているのはフートゥオンと同じ造りだ。
実はこここそが最大規模だと言われているが、実際に見てまわった感覚でいうとトラの檻エリアも含めるとフートゥオンの方が広いように思う。
先の2か所と違うのが中庭の中心にある小さな建物。
格子窓が付いたポーチの様なスペースと、小さな部屋がある。立地から推測するにこれは看守詰所だろう。周りの集団房が見渡せるようになっている。
それとは別に小さな教会の様なものも立っている。十字架が掛けられているのでキリスト教の教会だ。
現在のベトナムではキリスト教信者は全体の約7%と言われているので決して多くはない。だが国内にはフランス統治時代の名残りとして大聖堂がたくさんあり、観光名所となっている。
当時造られた収容所ならではの教会。看守の為か、囚人の為か、興味深い。
人影ひしめく集団房
集団房の一つに入って驚いた。大量の人形がいる。
壁側の一段高くなった高座の様なスペースにも、そこに寄りかかるようにも、中心の床にも。全部で100体近くはいるだろうか。
一体一体、表情も髪型もポーズも違って、目が合うとドキリとしてしまう程に精巧な人形だ。髪の毛がとてもリアルで、中には白髪交じりの物もあり、人毛のように見える。無精ひげのあるものまでいる。
みな上半身裸で、あばらが浮くほどに痩せていて、怪我をしているものもいる。乱雑に積み重ねられている人形もある。
無言の人形たち。苦悶の表情を浮かべ、骨の浮いた体で固いコンクリートの上に座り続けている。身を寄せ合うようにして。そこに窓から差す光。時折風が彼らの髪を揺らしもする。
そんな当時の様子がよく分かる空間だ。
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モールス信号の独居房
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入り口から左後ろの奥まった所に独居房の建物がある。
屋根こそふき替えられ補強されているが、壁は当時のままのようだ。
ここに収監された人々が最初に結束し、それが後に「コンダオ党委員会」として収容所内で社会主義の教育を行う学校としての仕組みを作っていく。
並ぶ鉄扉にはネームプレートが付けられている場所がある。
指導者や活動者として有名な人の名前らしい。ここ以外の収容所でも随所にこういった房があり、そこでベトナムの人はよく記念撮影をしている。
亡くなった人もいれば、解放後要職に就いた人もいる。歴史上の偉人の様な感覚なのだろうか。死を悼むというよりは、満面の笑みでの記念撮影だ。
博物館で読んだが、ここでは壁越しにモールス信号を使って連絡を取り合っていたらしい。壁に耳を付けている人形もある。
どうみても一人用に見える2畳ほどの房に4~6人ほど入れられることもあったという。
過酷な環境、あらゆる形態の拷問。それらに負けじと「私達は屈しない」と拳を上げながら解放と独立を願い、戦い続けていたのだろう。
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3か所の収容所を巡り、おおまかな造りはどこも似ているがそれぞれに個性がある。
1か所だけ見学するならば、やはり「トラの檻」があるフートゥオンがいいだろう。だが、当時の空気感を一番感じられたのはこのフーハイだ。
見学者が多くないのと、本当に必要最低限の補修のみといった感じで、朽ちて苔むした壁が残っている。どことなく中華を感じる装飾の名残や、教会もあり、なんというか雰囲気がある。相方は最後にして「見たかったのはこうゆう場所だ」と喜んでいた。
今後も保持のため修繕活動は必要になるだろうが、出来る限り当時の壁を塗りつぶさず保全に努めて欲しいと思う。
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領主の邸宅 Island Chief Palace
時間が余ったのでチケットで入場できる最後の5か所目、フランス植民地時代に島の領主が暮らしていた邸宅にも行ってみる。
フーハイ収容所から1区画だけ挟んですぐそばに建っている邸宅は、海に面した中心部の一等地。広大な前庭部分には色とりどりの花が咲き誇るコロニアル様式の美しい建物だ。この美しさが皮肉でもある。
なぜならこの邸宅は囚人たちの強制労働によって建てられているからだ。
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コロニアル様式とは植民地におけるフランスとベトナム文化の融合を意味している。黄色い壁にオレンジ色の瓦の外観はベトナムっぽいが、広めの玄関ポーチと外廊下が建物を囲んでいるのはフランスの要素なのだろう。
中も細かい模様の床タイルや繊細な装飾の木製の調度品の数々はベトナムらしいが、青く縁どられた窓やアーチ状になっている開口部がフランスか。
鹿の飾りやドレッサーがあったりするのも欧風な雰囲気だ。
しかし豪華絢爛。まるで高級ホテルのようだ。
先程まで見てきた収容所との落差が激しく、眩暈がしそうだ。重厚な家具のあちこちでワインを傾けて談笑していそうな気がする。うがった見方だろうか。
それにしてもここは天井が高い。天井を高く設計するのは暑さがこもらないようにする為で、私が住んでいるマンションもそうだがベトナムの住居やホテルはどこも天井が高い。だが、ここはすごい。4mはありそうだ。
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植民地時代の領主の為のコロニアル様式なのだから、領主はフランス人かと思っていた。だが主寝室に入ってベッドを見ると、どうやらここで暮らしていたのはベトナム人だ。
天蓋付きの豪華なベッド。
これがとても小さく、長さが170㎝ほどしかない。私が寝ても足がつかえてしまいそうなので、このベットは間違いなくベトナム人の為のものだと思われる。
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豪華な部屋に豪華な調度品。当時の領主が着ていたであろう衣装の展示もあった。建物の出口付近にはショップもあり、煌びやかで高価そうなお土産も並んでいる。
この場所が華やかであればあるほど、収容所との対比で複雑な気持ちになる。率直に言えば胸やけがする。長居はやめよう。
外に出ると建物の正面には海が見える。
そして玄関からまっすぐの場所にある桟橋。
かつて船が停泊していたというこの「914桟橋」もまた強制労働によって造られたものだ。その名前はなんと、建設中に亡くなった囚人の数に因んでいると言われている。
コンダオの明暗。痛いほどにそれを感じさせてくれる場所だ。
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ハンズオン墓地 Nghia Trang Hang Duong
中心部の北東には広大な墓地がある。
泊まっていたホテルへの行き来の道中で何度か遠目に見ていた。大きな慰霊碑もあるらしいので、本日の締めくくりに手を合わせに行こう。
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フートゥオン収容所の横を通り、右折すると道の両サイドにはたくさんの露店が出ている。飲み物屋もあるが、その多くは線香などの供え物や仏像らしきものを売っているようだ。
駐車場には大きなバスが何台も停まっており、入り口は人でごった返している。なんてこった、コンダオに来て1番の人気観光地はここのようだ。
中にはスーツで正装している人やアオザイを着ている人もいるが、多くは参拝というより観光の様子。外国人の私たちが入っても問題なさそうだ。
ここには収容所で亡くなった人の多くが埋葬されており、コンダオのシンボル的に有名な英雄ボー・ティ・サウ氏の墓もある。
聞くところによると、彼女の墓は現在ベトナムで有数の”パワースポット”として人気があるらしい。
随分俗物的に感じてしまうが、参られる分には嬉しいだろうか。
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墓地の中はきれいに整備されており公園の遊歩道のようだ。
道の両サイドの区画にはそれぞれ墓石や墓碑がある。
流石にお墓を写真に撮るのははばかられるので止めたが、日本の墓石とは異なり西洋風の造りだ。地面に名前を刻んだ石のプレートが埋め込まれているシンプルな造りが基本で、その周りに献花台やオブジェの様な石碑が建っているものもある。
道なり奥に進むと階段の上に大きな石塔がある。
細かい彫刻がされた先端にはベトナムの星。これが慰霊碑だろう。
人の背丈ほどありそうな大きな香炉にはたくさんの線香がすえられ、塔の根本には菊の鉢植えがたくさん置かれている。
ちなみにベトナムの線香は中国などど同じく40~50㎝ある長いもので、菊の花もスーパーで売られている花の主力商品であるくらい身近な存在だ。
恐らくここで慰霊祭なども開催するのだろう。
今日見てきたものを想い、手を合わせる。線香か花の一輪でも持ってくるべきだったと後悔したが、その分思いを込めて参拝させて頂いた。
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供え物の定番 レディースセット
階段を下りた所にある広いスペースにはたくさんのカートが置かれている。キャンプなどで使うアウトドア用のやつだ。行きも気になっていたが、近づいて見てみると大きな花束や供え物、中にはなんと子豚の丸焼きも。供えた後は皆で食べるのだろうか。
コンダオの供え物は面白い。
花や食べ物、お酒などもあるが1番多いのはレディースセット。
果物のカゴ盛の様に、台座の上に金紙の置物や花と共に、白を基調にした靴やポシェットの様な鞄、ネックレスなどの装飾品が飾りつけられているものだ。そしてお金。現金であったり、何故か米ドルの偽物であったり。
故人が女性であればレディースセットで、男性であればメンズセットとなり時計や革靴などが入れられるらしい。
全てイミテーションではあるが、故人が欲しいであろう物をセットにしている。なかなか面白い風習だ。
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ひときわ人だかりの出来ている一角では数十人が集まり、3畳ほどの大きな墓所の周りは供えられる線香の煙で一帯が煙ってしまっている。
何事かと近づいてみると見慣れた少女の顔が刻まれた墓碑。ここがパワースポット化しているというボー・ティ・サウ氏の墓か。
大きなレディースセットを抱えた人達が行列を成して順番に参拝をしていて、険しい顔の係員がアイドルの握手会の様に次々とさばいている。
その端で次々と雑に回収されていくレディースセット。かなり大量にあるが、これらはこの後どうなるのだろう。日本の様にお焚き上げされるのか、それともそのまま廃棄されるのだろうか。
一日かけて博物館から収容所、邸宅、墓地を巡った歴史デーもこれにて終了。盛りだくさんの内容だが、かかったお金はチケット代のみで1人50,000ドン(¥300くらい)。素晴らしいコスパの学びとなった。
またこうやってnoteに書くことによって、改めて旅の記録としてまとめられて良かった。それでも全てを書くと際限が無くなりそうなので、現地で学んだより詳細な内容については機会があればまた別の記事にまとめたいと思う。
さて、レンタルバイクのおかげで想定より時間に余裕を持って巡ることが出来た私達。時刻は17:00過ぎ。ちょうど夕暮れ時なので、サンセットが評判のビーチまで足を延ばしてみる事にした。
これがまたとんでもなく素晴らしいビーチで...というのはまた次のお話。