我がホーム「横浜」に行けば充電と浄化と癒やしがあるってまた思い出した
私は横浜で生まれ中学まで住んでいた。
年齢を重ねていくと地元横浜に対しての愛着がわいてくる。そんなこと昔は予想もしなかった。
もう東京に住んでいるほうがずっと長くなったけれど、やはりこの元町、中華街、山下界隈で亡き親友、そして亡き父との想い出をかみしめる。
亡き親友には一緒に過ごしていたときも、今も愛と感謝しか感じない。悲しみでなく一緒に過ごせた喜びで涙することが続く。
家族、血縁関係、というと「残念」という言葉しか浮かばないような境遇なのだけど、あまり一緒に過ごすことのなかった父との時間は横浜ばかり。今となっては当時と違う気持ちで振り返ることができる、というのも時間を重ねていく面白さ。また交差する縁や、通りすがってまた戻って気がつくものごと。だから歳をとるって私は好き。
中華街に隣接した病院に幼稚園のころ入院したことがある。その時のことをしっかり細部まで覚えているエピソードがあって、そういうことも中華街に行く度に、毎度毎度鮮明に浮かび上がる。
他にもっと覚えていてもいいはず!と思うようなことをすっかり忘れていることが自分でも驚くことほどたくさんあるのに。記憶って脳って面白い
最近心身ともに不調、と感じて、やりたいことがたくさんあるのに無気力、もしくはやさぐれた態度で物事を眺めていることが続いて滅入ってる。
そんなふうになるとつい横浜に足を運んでただ山下公園から海を眺め、港の見える丘公園からベイブリッジを眺める。ヒーリングだな、と毎回感じる。
横浜にはまだまだたくさん良い氣分へと導いてくれる場所も想い出もある。
↑の写真は、大好きなDUSK timeに、もうすぐ月食満月に近づくお月さまとベイブリッジ。
このやさぐれ不長期のことも、こうして書いておく。これが続くことは絶対ないし、周りの誰かがこういう状態になったときにもっと共感、思いやりをもっていきたいリマインダーとしてもメモる。
そして何かあれば(嬉しいときだってもちろん!)横浜に行けばいいんだとまた何度も実感しそうである。
「すべては機会」
私がこの肉体でこの時代、家族、地球に生まれてきたことはEverything is meant to beだと思うし、せっかくだからこの地球でこの肉体で生きるこの機会を楽しみたい。何か目の前のことに楽しみや喜びを見出すゲーム。
そういえば、港の見える丘公園には、1つだけハート型が埋め込まれている♡こういうの好き。
私が毎日絵を描いてたときも、ぜんぶの絵にどこかに小さくハート♡を描き入れていた。見せていた友人はそれに気がついていてくれて嬉しかったな。