視野が狭いとつい比較しちゃうから
引っ越してきたここでの環境をexploreしていろいろな良さを発見するまでに、1年数か月もかかってしまったわ。。
現在住んでいる物件自体は、近隣環境的にとても困りごとがあり、
引っ越してきてすぐにも「早くこの物件を出たい」とずっと思っている。
ここのエリアに住むのも、一時的なつもりだったこともあり、
「とにかく早くここを出て、遠くの新拠点へ」の一心、
そのため、つい減点ばかりして、
ついつい長く暮らした東京と比較するようにもなった。
東京に居る時は居る時で、いくらでも粗探しをしていたものであるけれど。
長年、海外と行き来していたりで、あまり日本、東京にいない時も多かったけど、
東京にずっといるままでいいのか?と納得して出てきた。
今もあの時、東京を出たことに後悔はなく、
何度振り返っても、あの時はそうするしかなかっただろうなと思う。
いざこっちにきて、予想外、期待外れなことが続いたり、
実際の住環境の困りごとなどで(これが最大ストレスなのだろう…)、
現実逃避的に過去の良いところばかり思い出して比較してしまう。。
辛いことがあっても、楽しいことやいいことがゼロではないのに。
そんなんで、だんだん、
あぁ今東京にいたら、
あそこに行ってあれをした、あれを食べた、あの人に会えた、あれができた、今日ならあそこに行くな、などなどなど。
長くずっと住んでいた事もあり、
いくらでも「もし東京にいたら〇〇案」が出てくる。
まるで亡くなった人のことは良いことばかり思い出すかのようではないか。
おや?もしくは、若い時の恋愛で似たようなことがあったような?
理由があって納得して別れて未練があるわけでも復縁したいわけでもないのに、ふと新しく付き合っている人と前の人を比較したりして、
あの人だったらこうだったな、、、とか思ったり。
すぐに無意味でアホな妄想してるわ、と気づいてやめるのだけど。
「今ここ」に心あらずの、ないものねだり的なことがたまに訪れたり。。
悶々としたストレスを解消するには歩くのが一番手っ取り早くていい。
友達はみんな遠方にいて気軽に会えない。
それで、一人で今の住まいの近くの山と海で過ごす時間が増え、
少し足を延ばして一人で日帰りトリップなどをしだしたりして、
好きな場所や好きな過ごし方も増えてきた。
夫とは毎週末、車で内陸の山の方へ行き、お野菜など食材の買い物と、自然散策をしているが、一人の時間で近隣に良い時間を持てたことは進歩である。
とにかく私には、歩いて海へ行けることはすごくうれしいことだ。
何より大好きな海が徒歩圏、
いわゆる1つの夢が叶ったということになる。
海にいると、リラックスした時間を過ごせる。
ぼーっと海を眺めたり、大型客船や向かいの島を観察したり、本を読んだり、音楽を聴いたり、砂をいじくったりアーシングしたり。
気づいたら3時間半も同じ岩の上や砂浜にいたりして驚く。
そして何より、当たりまえだが、ここらは東京より人が少ない。
これは予想以上に心身に影響する。
今いるところも政令指定都市エリアでそれなりの人口なのだけど、
やはり、東京の人の多さは段違いなのだ。
特にずっと東京の都心に暮らしていたこともあって、
当時は麻痺していたというか、受容しないと暮らせない。
ひとたび東京を出るとその差がすんごくわかる。
東京から遠方へ移住した友人知人も「出てみて東京の独特さがわかる」と言ってた。
東京都心ではどこへ行くにも、歩きでも、交通機関利用でも、車でも、混雑、渋滞を避けられず、とにかく人口密度のレベルが違う。
今でも、
東京でしかできないやりたいこと、行きたいところ、会いたい人たちがとっても恋しいし、東京は、やっぱり大好き。
(今の趣味のいくつかも東京でしか叶わないなぁと思う事もあるし)
特に若い時を東京で過ごしたことは、当時の私の趣向や好みとしては最高だったと思う。
ただ、あの楽しさや解放感は、あの時代だからこそというのもあったのかなと思うこともあるけれど。
何にしても、
過去に経験したことや、見聞きしたことからのジャッジはどんどん手放さないと、
新しい経験や、まだみたことない世界を新鮮に有意義に体験することは難しくなるのよね。
生きるとは変化、
まだみたことない景色や未知なる経験を、私はきっと欲しているのだな。
(だから今の環境でも良いところを楽しむとして)
その先のもっと広く遠くを目指したい。心理的にも物理的にもそう思う。
そういう気持ちがなくなってしまったら、
私の価値観や、性格的に人生は終わってしまうようなものかも。