センスとユーモアは世界を救うんじゃないだろうか
芸術、ユーモアって、すごく大事ではないかと思う。
センス。
伝えたいこと、社会問題、環境問題、などなどなど、
何かを伝えたい時、特に真剣に、深刻なことならなおさら?!
相手が気ごころの知れた仲、というわけではない場合は特に、
言葉だけでは難しいと思う。
誰にも多かれ少なかれ先入観やジャッジがあるだろうし、
やりとりの中で、少なからず誤解があったり、
言葉のやりとりで、人の心に届く、響くことはなかなか難しいことが多い。
言語の壁、考え方の違い、説明しようとすると途方に暮れる、とか、
頭を抱えてしまいそうな時でも、
Artや音楽は一瞬だったりする。
一生忘れないくらいのインパクト。
一瞬の芸術的アプローチで衝撃を受けたり、
そこからこみ上げる、
突き抜けること、
伝わること、
理解すること、
見えてくることがある。
私がいつも考えていることに「有機的循環」があって、
衣食住、仕事、生きること全般でいつも意識したいと思っている。
矛盾があっても、理不尽な社会に消耗しても、
可能な限り、取り組みたいこと。
いま、暮らしのこと、そして政治、医療、教育、社会の問題。
情報がまんべんなく公平に伝わっているとは思えない日本で、
監視、分断、管理がどんどん進み、
論点を合わせた意見交換、(ある意味)共存も難しいと思うことも増えた。
あまりに矛盾したことや理不尽な社会に、
「仕方ない」で諦めたり、蓋をし、放置すれば、
奴隷社会が進んでしまうとか、長い目でみてしわ寄せはくる。
どんどん人々の感性、自由は奪われ、
特に無邪気にのびのび育ってほしい子供たちの今の抑圧は、
今の大人は想像もできないだろうし、大きな責任。
子供たちが麻痺させられて育つ、不憫でならない、泣けてくる。
現代は、皆が同じような服を着て、マニュアルやルールのもとに、考える、感性、個性、知性も抑圧され、コントロールされてまるでAIのような大人の社会になったらどうなるのだろうか。
一時的な拠点、と思って住んでいる(予定よりずっと長くなっている…)今の周辺は、皆同じような服装で、合成香料、柔軟剤臭を放ち、チェーン店ばかり。
個人経営の自然食品店とか、ちょっと面白そうなお店とかも全然なくって、
なんか楽しくない、を通り越して、怖くもある、
なんか鬱っぽくなってきた。
センス、感性っていうのはすごく大事な事だと思う。
知的なユーモアも。
センスのある人、環境、スタイルなどがなくなっていけば、
みんな同じに支配管理されたり、心や感性を失わないためにも大事ではないだろうか。
趣味が違っても、それぞれが好きにしていること、
そこにその人の感性や個性があること。
センスに魅かれて影響されて湧き出るエネルギーやそこからまた飛躍する創造も素敵だし、相乗効果がさらに発展していくとか、
そうやってできる縁も素敵よね。
例えば、昔は雑誌はもっとそれぞれの「色」があって面白かった。
今はどの雑誌も皆同じように見えるし、便利、安価、が選択基準…
レシピはレンチンありき、服はユニ○ロ、無○良品の特集ばかり…
つまらん、実につまらん、手に取ろうとも思えないもん。
私が学生時代や若いころは、いくつかお気に入りの雑誌の発売日を楽しみにしていて、買ってきて部屋で最初に開く時の興奮といったらもう。
今、ネットの恩恵を受けていることは否めないけど、
やはりデジタル過剰で失っていることは大きい、大きすぎる。。
麻痺していることたくさんあるだろうな。
アナログ回帰、原点回帰、そして自然回帰へシフトしていくような社会を願い続けるし、草の根でも何かできることはないだろうか。
生きているなら、尊厳と共に、納得すること、望むことへエネルギーを使いたい。
生命体も自然環境も健やかに負担をおさえていける代替案はあるし
過剰な便利をやめていくこと、多くの一般人が多忙で疲れ果て、それでも貧困を解決できない政 治にはもう期待せず、個人がそれぞれ考えて貢献していく選択。
有機的循環を諦めない、自分が納得する方法や手段や、いろいろ考え続けている。
芸術的に、センス、独創性を活かすその方法を。