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【随想】ご縁に感謝する日 -人から人へ-

2023年3月11日。

WBC日本代表の佐々木朗希選手は、見事な投球で世界大会に力投を見せてくれました。試合後に栗山監督が、"3.11"に父と祖父母を同時に失った佐々木選手を登板させる意味を次のように語りました。

「自然に導かれたというか、いろいろ決めていく中で大きなことだった。野球の神様が、朗希に頑張れとメッセージを送ってくれたんだと僕は思っている。」


佐々木選手は序盤の失点にも関わらず、冷静にしかも熱く第一次予選の球数制限を8奪取三振で投げ切ったのでした。

私にとっての"3.11"

私事で恐縮ですが、私の母は福島県いわき市で12年前の東日本大震災で被災した一人です。いわき市は、海岸沿いに近い場所にあります。周りの家々が倒壊する中、私の実家は奇跡的に全く倒壊もなく無事でした。その為でしょう、近隣の方々が当時、私の実家で過ごしたと聞いてます。

風呂にも入れず十分な食料も補充し切れない中で、多い時は10人近くも母は一人で世話をしたそうです。そして3年後、それらの疲労の蓄積が原因だとも考えられるのですが、母はあっという間に他界してしまいました。正確なことはわかりませんが気苦労だったのかもしれません。当時、彼女は78歳でした。

そんなこの日。私は、長年苦しんできた下肢静脈瘤のレーザー手術の日に敢えて選んで手術を致しました。

当日午後3時。12年前の東日本大震災その時間に下肢静脈瘤レーザー手術の手術台にいました。この下肢静脈瘤とは10年以上の付き合いで、海外出張などが多かったことでひきおこったものです。普段の仕事には全く支障ないのですが、いつか血栓が飛ぶのが怖いと感じつつ、伸ばし伸ばしにしていたのです。

手術時は麻酔によって、全く記憶にないのですが、手術執刀医が幾度か私の右肩を大丈夫と肩を叩いてくれたことだけは覚えています。後で聞くと、この疾患の為に血液をサラサラにする薬を飲んでいるせいか、レーザー針穴からの出血が止まりにくかったようです。結果は順調で本日からは、また平常通り仕事に戻れると言われて、安心しています。

2023年の"3.11"を私はこんな風に過ごしていました。皆さんはどんな"3.11"をお過ごしてしたか。様々思いで迎えた方もいらっしゃるでしょう。

「BE MYSELF(ビーマイセルフ)」

そういえば不思議なことがありました。
手術当日、私は簡単な運動をしてから日本橋高島屋の地下のPARIYAで昼飯をしていました。食事も終わり日経新聞を読みながらコーヒーを飲み、書籍に目を通していると、見ず知らずの叔母さま(おそらく60歳過ぎくらいでしょうか)が私に突然声をかけてきました。

「あなたは今、この本を読んだらよいと思うわ」

そんなことをいうのです。それは「BE MYSELF(ビーマイセルフ)」という小冊子でした。

実は最初はこれ…宗教団体の勧誘か何かで、ついに高島屋にまで来る時代になったかと思ってしまいました。しかしながら、その叔母さまは次のように私に向けて続けるのです。

「突然でごめんなさいね。あなたのことを隣でみていたら、どうやら活字が好きでいらっしゃるとお見受けしました。さらに目を通すだけではなくて、考えながら様々思索しているようですね。私達は人間のインサイトをみる仕事をしています。たがらこの小冊子を見てみて欲しかったの」

その後、"これから私は日本橋でセミナーをするのよ"とだけ言い残して
あっという間にいなくなりました。どうやら、ルイヴィトングループや資生堂で外部でコミュニケーションの仕事をしている方だとのことでした。

"インサイトの洞察"と伺って、どうやら似たような仕事をしている方がたまたま隣で昼飯を食べていたんだなぁと、不思議な縁に感動しました。そして前述した栗山監督が佐々木選手に感じた言葉を思い出したのです。

私の場合、野球ではなくマーケティングの神様が、頑張れとメッセージを送ってくれたんだ、と。そう、たまたま居合わせたあの叔母さまを通して、神様が今の私にメッセージしたのではないかと妄想したりして(笑)。

まとめの代わりに

人と人との不思議な出会い、ご縁をこの"3.11"に感じました。

今、私は企業の経営やマーケティングのコンサルテーションを本業としていますが、表に見える事実からの分析ではなく、その背後にある深層心理や暗黙知の領域をクライアントの皆様と考え戦略化することを大切にさせていただいています。

それはもしかしたら伝わりにくいことなのかもしれません。具体的な提案をした方がクライアントにはわかりやすいのかもしれません。だけど私は敢えて"自身で考える"ということにこだわりたいのです。提案ではなく、自分たちで生み出していくこと、考え抜いていくことで見えてくるものがあるはずです。

母は近所に暮らす方のケアについて考え抜き、本人が思っていた以上に彼らの世話をして亡くなりました。だけど彼女はそれも本望だったと思うのです。だってそうしたかった、いやそうしてしまう人だったのです。私の母という人は…。

今回、自分の身体を手術で治す直前に出会った当日に出会った叔母さまは、亡くなった母が姿を変えて頑張れとメッセージしてくれたのではないかと思っています。別にスピリチュアルなタイプではないのですが、そんなことを感じるくらい意味ある出会いだったのかもしれません。

母さん。あなたの息子は、どうにもあなたに似てしまったようです。術後の今日もまた朝からクライアントの未来を見つめながら仕事をしてしまっています。やはり僕はあなたの息子です。

(完)

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