見出し画像

「鶏とカレーと信仰心」

水曜日は週に一度の貴重な公休日。
本当はゆっくり寝ていたいところだけど、溜まった用事が山積みでそうもいかない。午前中は洗濯と簡単な掃除を始めたものの、思ったほど進まない。
それもそのはず、起き抜けに酒を飲み始めてしまったのだから…。
気づけば再び眠りに落ち、目が覚めたのはもう午後2時半。
「やばい!」と焦りながら今日の予定を確認するも、軽いパニックになりながらも、とりあえず配車アプリでタクシーを呼び、なんとかかかりつけ医の診察、それが終わったら、かかりつけ医の隣の皮膚科に受診、3年前からアトピー性皮膚炎に罹患しているからだ。
2件の診察を終え、処方箋の薬を受け取った頃には、すでに夕方5時を回っていた。
商店街を駅に向かって歩いていると、見覚えのある顔がこちらを見て微笑んでいる。
「あっ、チークさん!アッサラーム・ワリコーン、元気だった?」と声をかけると、「まぁまぁ元気」と返してくれた。
チークさん…いや、正確には「タヒル」さんだけど、みんなからは「チーク」や「チーコ」と呼んでいた。
彼は以前、当時の僕のボスと仲の良い友人で、仕事をしていた頃に知り合った。
とはいえ、真面目なタイプではなく、女性好きでいつも飲み屋やパチンコ屋に入り浸っていた印象が強く、日本にいるアジア系の外国人って皆こんな感じだなぁとよく思っていた。

そんな彼をこの街で最初に見かけたときは驚いた。
パキスタン人が少ないこの地域で、初めてこの土地で彼と再会したとき驚いたが、僕は何故か国内でも海外でも何故か知り合いと出くわすことが多い。
近くならともかく、東での知りあいが、数年後に西の街にいたりするのだ。

あれから20年以上が経った今、チークさんと再会して、いろいろな思い出が蘇った。
そういえば彼らと一緒に仕事をしているとき、彼とは対照的に真面目な
「エジャースさん」という人がいた。
彼は一日5回のお祈りを欠かさず、ハラルしか口にしないという信仰心の強い人だった。
エジャースさんは、どこへ行ってもお祈りの時間が迫ると、絨毯を広げてメッカの方角に向かって静かに祈りを捧げていた。

ある日、彼が突然「ここでお祈りしていいですか?」と聞いてきたことがあった。「え?こんなところで?」と返したものの、彼は祈り用の敷布
「サジュダ」を僕の机の前に広げ、真剣に祈り始めた。
メッカの方向を意識しているのだろうけど、僕の足元がその方向にあるのでは…と少し気まずく思いながら、慌てて机の上の書類を片して、ノートブックを持って、そっと机から離れたのを覚えている。

そんなエジャースさんは、集まりとかがあっても、お酒を飲まず、顔を出してはすぐに帰るというスタイルだった。
ある意味、彼らしい律儀さがあったのだろう。

そういえば、エジャースさんが、ある日、僕に「港からオフィスに戻る途中で鶏を買ってきてほしい」と頼んできた。
「えっ、鶏?」と驚いたが、話を聞くとオフィス周辺には養鶏場があり、卵を産まなくなった鶏を安く譲ってもらえるらしい。
言われた通り、帰り道にそれらしき養鶏場に立ち寄り、養鶏場の中に向かって「すみませーん!」と声を出すと、奥から、麦わら帽のおじさんが出てきた、エジャースさんの話をすると「おっ、来てるよ、今日はいつもくらいでいいの?」と慣れた様子で対応してくれた。
あっという間に3羽か4羽の鶏を紐で脚を縛り、キャベツの空箱に詰めて渡してくれた。値段は500円か1000円もしなかった気がする。
その鶏を車の後部座席に置いて運んでいると、なんだか後ろが騒がしい。
クワっクワっと鳴いているのだ、バタバタしている…どうやら紐が外れたらしく、鶏たちがパニックになったようだ。
後部座席から聞こえるパニック状態の鶏たちの鳴き声に、僕もパニック。
もし、窓から飛び出してしまったらどうしよう…。
そんなドタバタを経て、なんとかエジャースさんの自宅まで鶏を無事届けたのだった。
その鶏はエジャースさんがお祈りをして捌き、翌日、カレーの具材の一部となってを美味しいカレー持ってきてくれた。
しかし、端から見るとすごく労力を使っていると思うが、エジャースさんには普通のことらしい。常に信仰するものを信じ、生きていることに感謝しているのだ。
チークさんを見て何も思わないが、エジャースさんの姿を見て、僕は改めて、自分の生き方を考えさせられた。
彼は、どんな状況でも自分の信念を貫き、周りの人に優しく接していた。
彼の生き方は、やさぐれた僕には心を穏やかにしてくれた。


いいなと思ったら応援しよう!