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なんで転職じゃなくてフランチャイズ起業にしたの?
皆様あけましておめでとうございます。
年の境目って目標とか意気込みとかに縁があるかとは思いますがどうやって面白くしていくか考えていくのは楽しいものです。
今年も起業1年目のYohKを宜しくお願い致します。
今回のタイトル、なんでフランチャイズ起業したのさって話。
ざっと略歴書かせて頂くと
42歳で17年セールスエンジニアしてた企業から転職
住み慣れた札幌を離れる
↓
某外資大手に保全エンジニアとして入社
神奈川県に移住
↓
企業体質が合わないうえにハラスメントやいじめがきっかけで
札幌に戻る道を模索
↓
フランチャイズ契約で古物商に転身、札幌に戻り独立
とまぁこんな感じです。
神奈川にいたとき札幌に戻る計画を立て始めた時は早く帰りたかった。そういう意味ではあまり計画性がなかった部分もありますが、一番の理由は収入です。社会にでてから年収の推移はだいたい400~680万くらいの間でした、業種にもよるのですが正直僕の実力だと400を割らないと転職で札幌に戻る選択肢はとれなかったんですよね。
とはいえ突拍子もないと思われる方も多いかと思います、実際似たような状況でこんな選択肢を選んだ方にはほとんど会ったことがありません。
もともと独立にはかなり興味がありました、実現したい理想があったり億万長者になりたかったりとかそんなことではなくて生きていく強さが欲しかったという感じ。セールスの仕事に力を注いでいたのもそんな理由からなのですが、何をしていいかわからず決心もつかず結局40歳を過ぎてしまったといったところです。
それともうひとつ、僕は個人投資家の側面も持っています。
17年勤めた会社を辞めて退職金を結構な額いただきました、外資大手に転職を決めた時点で正直そこで一生やっていくようなところだとは思っていなかったので次の仕事やスキルアップ、資産運用などを平行して進める必要がありました。
個人投資家っていっても日本株と投資信託以外は扱っていませんでしたが、それでも現金を寝かせる意味などこの状況ではないと考えて最低限の現金以外は全て金融商品に変えました。その頃マーケットの地合いがよかったこともあり資産は考えていた以上の速度で増えていきました。
扱う額を増やしたこともあるのですが、その時に持たざるものは永遠に見えない世界があることを身を以て実感したことも大きなきっかけでした。
フランチャイズを検討したのは副業を多少やっていた程度でビジネスの経験がほぼ無だったこと、貯蓄や資産運用でまとまった資金を持っていたこと、そして北海道を二度と離れたくなかったことあたりが主な要因です。とはいえ仕事がなんでもいいかといえばそんなことはなく対人営業を自分でできる仕事がしたかった。そうしていきついたのが古物商だったという訳です。
もし同じ状況にある方がこれを見ても多分じゃあちょっとやってみようかなとはならないと正直思います、僕自身準備を終えて今月からビジネスがようやく動きだすことに期待と不安のカオスの中でなんともいえませんしね。
なんでこんな話を書こうかって思ったかって外側から見えない世界に踏み込んだ実感と自分で責任もつ覚悟があるならこんな道もあることを可視化できないかと思ったからです。
もう少し生々しい話を今後書くつもりです、具体的な数字を書いたりいえないことがある中でもギリギリの発信をするつもりなので有料かメンバーシップの形で発信させて頂く予定ですが選択肢のひとつとして足跡を残すことに意義はあるんじゃなかろうかと思う次第です。
最後に
情報商材を買えとか僕の記事に課金してってことじゃなしに、一歩踏み出して保身を捨てないと本当に味方してくれない先人は本当に多いです。ずっと自分の責任で決断をし続けている方から見たらサラリーマンの独立検討相談なんて余程確たるものがないと愚痴のレベルに見えるんだと思います。実際に僕自身も今の段階ですら仕事の話をお勤めの方と話すとかみ合わないと思うことが増えましたし。
最初から独立なんて考えないでどうやって勤め上げるかって生き方も素晴らしいと思います、自分で決断したならそれはなんであろうが尊いものです。
これからどうなるかなんて僕自身にもわかりませんが自分で選んだ道と理想に邁進していきます、もしこれを読んでいただいてる方と少しでも道が交わることがあればとても嬉しい限りです。
それでは皆様も良き人生を
YohK