死にたい今日の終わりに
※この文章は、先ほど投稿した文章を書き殴った後に、またまた衝動的に書き殴った文章です。こちらも合わせて供養のため投稿します。
ヨルシカのライブに行けた今日を、私の命日にしようと思いながら、帰路につく。
人ごみの間をぬってJR大阪城公園駅に。
案の定、駅は人で溢れていた。階段を早足で降りる。足を滑らせて頭でも打って死ねたらいいのにっていう淡い期待は、私の健康すぎる身体に阻まれて散る。
鶴橋・天王寺方面の大阪環状線は、まだ空いていた。
知らないお兄さんと譲り合いをしつつ電車に乗り、揺られる。
揺られながら、考えていた。
なんでこんなに死にたいんだろう。
ある人から教えてもらったのは、こういうときはメモとか、なんでもいいから自分の気持ちを書き出すのがいいってことだ。
早速iPhoneのメモに、ガラケー打ちで文字を打つ。
「死にたい今日」
こんなときでも、文章を書くとカッコつけたくなる。
ちょっとイキって書いた文章を、後から見返してふふってなってしまった。
まあでも、これが私の今の気持ちなんだね。
最後の文章に、私の本音が詰まっていた。
「死ぬことは、怖くないといえば嘘になる。死ぬのは怖いよ。でもそれ以上にこれから生きていける気がしないんだよ。
ヨルシカのライブに行けた今日を、私の命日にしたいと思った。」
もし今日死ねるのなら、今日はきっと命日に最高の日だ。なんていったって、大好きなヨルシカのライブの日だから。
帰り道でも、死ぬことばかり考えていた。
どうしたら死ねる?本当に死ねる?
線路に飛び込むのは、やめた。後片付けをする駅員さんが可哀想だと思ったから。あと、見た人のトラウマになるから。ただでさえ、雪の影響で遅延・運休している電車がこれ以上迷惑を被ったら大変な人がいっぱいいるだろうから。ヨルシカのライブ帰りのファンが飛び込み自殺なんて、センセーショナルすぎて、朝の報道ニュースに載ってしまうから。
では次。車にはねられる。これも却下。はねた車の運転手が不幸すぎる。
首吊りは?却下。賃貸住宅が事故物件になってしまう。
となると死ぬ方法なんて限られてしまうな、なんて考えながら歩いていたら、いつの間にか家についていた。足が覚えていたらしい。
あーあ、死ねたらよかったのにな。
部屋に入ると、からし(私の飼っていたハムスター)が、寝床の綿をトイレに全部運び込んでいた。最低だ。
お前はどこで寝るんだ?どこでトイレするつもりなんだ?
無慈悲だが、からしが運んだ綿を全部引き剥がして、寝床に突っ込んでやった。トイレの砂も足してやった。これでいいだろ。
でも、ちょっと目を離した隙に、またからしが、寝床に詰めた綿をトイレに運び込もうとしていた。現場を目撃してしまった。
もうやる気も、怒る気も失せてしまって、放置することに決めた。好きにしなよ。
はーあ、ますます死にたくなるな。
どうしようか。なんでもできるか。
現在時刻23:30。つまりまだ1月25日。ヨルシカのライブの日だ。私の命日はまだ終わってないんだからさ。
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