深夜2時を少しまわったところ。私はまだ起きている。 子どもの頃から、この時間帯がなぜか好きだった。特別な感じがしていた。 小学生の時に、家のベランダから星を眺めるのにはまっていた。深夜2時ごろ、バレないようにこっそりベランダに出ては、学校で配られた星座早見盤と夜空を見比べていた。夜のひんやりとした風が好きだった。みんなが寝静まって、世界に自分一人でいるような感覚が好きだった。 でも、そんな私の秘密のあそびは禁じられてしまう。ある日、母にベランダに出るところを目撃され怒られてし
挑戦的なタイトルをつけてしまったが、本当にそのまんまの意味なのだ。 私は、今、PM10:00、茶粥を食べ終えてこの文章を書いている。 事の発端は、先週の日曜日まで遡る。両親と出かけた先の公園に、小さな直売所が併設されていて、そこで茶粥用のほうじ茶と出会ってしまった。 そもそも茶粥とはなんぞや?といえば、米を茶で炊いた粥のこと。そのまんま。 私の地元では、郷土料理として茶粥があり、小さい頃はおばあちゃんがよく作ってくれたものだった。素朴なやさしい味がして、好きだった。 大人にな
今日は晴天で、空には雲ひとつない。そんな日に私はコインランドリーで本を読むことにした。 季節はずれの夏休みを取り、仕事は1日お休み。 せっかくのお休みなので、普段しないことをしようと思い立ち、ベッドのシーツ交換と、それから、ほぼ1年中使っている掛布団の洗濯をするために近所のコインランドリーにやってきた。 ここのコインランドリーは、いつ行っても比較的空いているのでほっとする。 機械を操作して、洗濯をはじめる。待っているだけで、洗濯から乾燥まで終わらせてくれるとは、なんて素晴らし
※この文章は、先ほど投稿した文章を書き殴った後に、またまた衝動的に書き殴った文章です。こちらも合わせて供養のため投稿します。 ヨルシカのライブに行けた今日を、私の命日にしようと思いながら、帰路につく。 人ごみの間をぬってJR大阪城公園駅に。 案の定、駅は人で溢れていた。階段を早足で降りる。足を滑らせて頭でも打って死ねたらいいのにっていう淡い期待は、私の健康すぎる身体に阻まれて散る。 鶴橋・天王寺方面の大阪環状線は、まだ空いていた。 知らないお兄さんと譲り合いをしつつ電車に乗
※この文章は、2023年1月25日、ヨルシカのライブを見に行った帰りに衝動的に書き殴った文章です。今、私は元気なので、供養のため投稿します。 ヨルシカのライブに行った。1月25日。 ずっと楽しみにしていたライブだった。 この日のために、最近、生きていたように思う。 ここ1ヶ月くらい、なにも気力がわかない日が続いていた。 風呂にもろくに入らずに、掃除もせずに。洗濯物も洗濯して乾燥機までかけたのに、まだ洗濯機に入ったままだ。過食嘔吐の症状もでている。ストレスに身を任せ、食べ
自分のことを、特別だと思ったことはない。かと言って、普通であるとは思えない。じゃあ一体なんなのかと考えたとき、準普通という言葉を思いついた。 準という言葉には「なぞらえる。そのものではないが、その次ぐらいにおく(Oxford Languagesの定義)」という意味があるらしい。へえ。 そう考えると、準普通という言葉は結構いい表現かもしれないな、と思った。 普通ではないけれど、普通をなぞらえて。 私は普通ではない、と思う。というかまあ、こうなると普通とは何かというめちゃくち