青山学院大学に勝手に抱いていたキラキライメージについて 全部『ホットドッグ・プレス』のせいだ
先日、インカレゼミに参加して思い出した、青学と私のこと。
青学の出身者との交流は社会人になってからで。なんせ、多摩地区の大学に通っていたもので。でも、みんな周波数が合う人で。友人・知人に、青学率が高く。
で。青学出身の友人たちと、私が大学時代に抱いていた彼ら彼女たちのイメージとはまるで違い。
私の青学のイメージは『ホットドッグ・プレス』で形成されたということにふと気づいたわけです。ちょうど1993年の2月下旬に第一志望の一橋大学社会学部を受験したわけですけど。「手応えあり」で。
ちょうど羽田空港で『ホットドッグ・プレス』の東京一人暮らし特集(だったと思う)を見かけ。「東京での一人暮らしが、4月から始まるかも」と思い購入。そこに、一人暮らしの先輩として青学の4年生?が紹介されていたのですよ。30年前ですね。私にとっての青学生とは、そこに出ていた彼が基準だったわけです。おしゃれなバーでバイトし、趣味はサーフィン、狛江の広めのワンルーム(家賃85,000円 いま思うと狛江で当時でこの値段って、そうとういいのではないかと)に住んでいる、という。
私の部屋づくり、真ん中に何も置かないなどの方針は、実はそいつに刷り込まれたものなのです。あと、ウイスキーの瓶を部屋にいくつも置いてバー風にするのも、大学時代はやっていたなあ。そいつの影響です。無印良品の脚付きマットレスを使うのも、です。
・・・わかりやすいマニュアル本男ですね。
その後、一橋大学生協で『噂の眞相』や『世界』と一緒に、『ホットドッグ・プレス』は買い続け。恋愛特集では必ず、青学のやつが出てくるのですよ。で、青山の歩道橋で手をつないで歩いたり、チューしている写真があったりするわけです。必ず、青学のアベックは出ていたわけです。
で。
社会人になって、青学出身の女性の先輩と食事をする機会があり。青学ってこんな華やかなイメージと、『ホットドッグ・プレス』で刷り込まれた情報をそのまま語ったら、その先輩は「あ、それ、私が出ていたやつだ」と。広告研究会的なサークルだったそうで。よく、取材に協力していたそうな。
講談社から何度か本を出したことがあり。その時の編集者と、その上司に高い鰻をごちそうになったことがあり。その上司の方は元ホットドッグ編集部で。
「ぼ、ぼくのバイブルでしたよ。でも、あんなキラキラした学生生活はできなくて」と話すと・・・。
「常見さん、できるわけないですよ」
と。
かなり、盛った記事だらけだったわけですね。
で、クライアント対応も含め、恋愛特集というか、率直に言うと、エロというか下心の要素がある特集と、さわやなか生活特集とバランスとっていたそうです。
北方先生の人生相談も楽しみでした。
というわけで、青学の皆さん、誤解していました。大好きです。