向ヶ丘遊園 駅前本棚カクヤマお店番「西洋政治思想史」第4回
6月16日(日)13:00−16:00 駅前本棚お店番として通称角ゼミの「西洋政治思想史」第4回、このシリーズの最終回を行いました。
今回も多くの方にご参加いただきました。
今回は、人数も増えたこともあり、スミさんの発案で、投影するスクリーンの方向を通路に面した窓に変えてみました。
少し縦長の教室っぽくなって、後ろまで声が聞こえていたか気がかりでしたが、後ろの方に座っていた方もうなづいていたので聞こえていたのでしょう。たぶん大丈夫。
A3の紙を貼り付けて作ったヨレヨレのスクリーンも今回でとりあえずお役御免です。よく頑張ってくれました。端々が破けているこれに謎の愛着が湧いておりました。
今回は、フランス革命とアメリカ合衆国成立をもって、民主主義が完成したとして、少しその後の歴史の発展の話から離れました。
民主主義を支えもし、対立して制限をかける役割としての自由主義、そして、自由民主主義(リベラルデモクラシー)の限界、限界をふまえて国民一人一人が民主主義を担う主体としてより頑張ろうぜという共和主義のそれぞれの発展の説明を古代から何度も繰り返して、現在の日本が置かれた状況と希望、みたいな感じのお話をして締めました。
我ながら、折々に参考にした本にかなり引っ張られていたとは思うのですが、ゼミを始める前に、ベースとなる教科書の宇野重規さんの「西洋政治思想史」を読み込み始めた頃には知らなかったこと、よくよく考えたら分からないことが噴出して、その視点で別の本を見回したり、本棚メンバーのムラケンさんや、じゃこめてい出版代表の石川さんが参考になる本をちょうどいいタイミングで紹介してくれて、綱渡りの中、このゴールに辿り着いたという感じです。持つべきものはハコメンです。
【参考にした本:民主主義を疑ってみる 梅澤佑介著】
確実に自分はこのゼミを通じて大枠としての思想史が身についた実感があります。期限を区切って集中的に学ぶというのは幾つになっても何かが身につくなと思いました。
別の締めかたもあったかと思います。別の締めかたというのは、リベラルデモクラシーの成立と表裏一体の資本主義の隆盛で生じてしまった経済的格差を縮めるための社会主義、そしてそれが憲法に結実した社会権、福祉国家の確立を説明して終わる形です。
そうすれば、一旦は憲法の人権規定を網羅的に扱ったことになるので、それはそれでまとまりがあるなとも思います。
ただ、自分としては、それはまた別の機会に学べば良いとも思ったし、福祉国家の成立で何かが完成したという感覚はなく、むしろ日本では過去30年で格差はもっと広がってしまったし、国家財政は前より厳しい。今は戦後の日本人が頑張って作ってくれた様々なインフラが遺産として残っていて、きちんとそれが機能しているから一見豊かに見える。だけど、目立って新しい価値や技術や文化が出ているかというとそうでもないから国のお財布に頼った格差の調整はあまり期待できないというのが自分の実感です。
ならば、その感覚を前提にして、少しは希望を持てる(自分が)締めかたをしたかったのです。なので、人文主義・共和主義という考え方をご紹介しました。とはいえその希望は自分たちが汗を流して、より深く広く学んで、生きてるうちに精一杯みんなと頑張ることしかないというありきたりの結論です。
西洋の人たちはこの思想史を人類に共通普遍の事柄として語っていますが、そもそも私たちはかなり距離的にも離れたところに住む日本人です。
それでも随分違和感なく受け入れられているのは、この思想史で学んだような、自由主義、民主主義、平等、平和、公私の区別、そして哲学が日本に浸透しているからかもしれません。
少なくとも、明治時代に漢文や儒学・朱子学を学んでいて急に西洋の考え方を学んだような福沢諭吉とかからすれば、身の回りに、西洋由来の考え方が浸透している分、身近な生活の中に空気のように存在するこういう考え方を違和感なく理解できるかもしれません。
自分が学び始めた頃は、日本の独自の考え方っていうのもあるのかなーと思ってはいたのですが、今回受講してくれた方たちの、割と素直な反応から、もうそういう日本固有の考え方を遡って考える必要はそんなにないのかもしれないな、と思った次第です。
ゼミのフリートークでは石川さんが常にこの西洋中心史観で排除されてきた人たちの話をされ、またシタール奏者の田中さんもご自身でマイノリティであることの自覚を話されていたり、多数派・主流派の考えを学ぶことで少数派・非主流派をより意識せざるを得ないという感覚を得ました。
またムラケンさんがthreadsでも書いておられたように、「みんな」とは誰か、そして「私たち」とは誰かが常に問い直されています。
歴史は、ずっとその時代時代で無視されてきた人たちが声をあげて、「私たち」の仲間入りをしてきた歴史です。これからもずっとそれは止まらないし、個人主義を選んだ以上、その細分化された個人の欲望や、要求、違和感を少しずつでも受け入れ続けていくのだと思います。
私たちが集うこの登戸・向ヶ丘遊園近辺でも既にまちに顔見知りどころか、仲間が増えており、今まで孤立していた人たちが私たちという閉じたグループを作り始めています。それにかなり自覚的な人たちばかりではありますが、どうやったらその輪を広げられるのか、敷居を低くできるのか、この日は午前中に開かれた哲学カフェでも同様の話題が出ていました。
最後に全体を通した感想を皆さんからいただく中で、最終回に向けて難しくなっていった、結局は思想史は難しく、結局は学ぶしかないとすると、わかっている人が分からない人に対して政治に関するわかりやすい選択肢を示してもらいたいというご意見がありました。結構一番グッとくるご意見でした。今のところそのご意見に対するこれぞという打ち返しが思いつきません。自分自身が分かっていないという自覚がある中で、それでもあなたは私よりは分かっていると言われればそうです。自分なりに分かりやすく説明することを心がけたのですが、分かりやすく理解できるように話してほしい人に対して学ぼうぜという結論はそりゃないぜというのもわかる。最後に向かって複雑な議論になっていくため、それを噛み砕くには至らなかったというのが実態かなと思います。
とはいえ、自分もこういうことを初めてやったので、また機会があったら今度はもう少しわかりやすく整理できているかもしれません。その先にどんなことになるのか、怖いような面白いような複雑な気持ちがします。
また、聞き手のネネさんからは、政治や思想のことは分からないし、本当の意味で興味を持てないからご自身が好きで得意な数秘を絡めてみたりしたというご意見がありました。まさしくこれは、ご自身が信じる価値体系としての「思想信条」の自由というやつだなと思いました。その信じた価値に基づいて社会を捉えてみるということ自体、これまで学んだ自由主義では全然ありとしています。ありだけど、他の人と議論を交わして、意見や信条が変わることも十分想定している。それでいいのだと思います。実際、哲学の世界では中世にはカバラとか数秘も取り扱っている時代がありました。だから簡単に今ある合理的な考え方が一番いいぜとはいえないと思います。一つの意見として大事にすべきだなと思います。
そしておさるちゃん。爆速でレポと感想書いてくださりました。ジョンスチュワートミルに反応してくれたのが嬉しい。私も推しです。何か色々コラボ出来そうな予感があります。
さらにさらに。じゅんこさんが西洋政治思想史インスパイアな絵本や児童書、入門書を期間限定で揃えて駅前本棚に置いてくださっています。
そしてスミさんも当日午前中に登戸駅前で開かれた哲学カフェとの二本立てで感想を書いてくれています。
なんだかめっちゃ長くなってしまいましたが、私の説明をベースにして、参加された皆さんと様々な意見を交わし、それぞれが哲学対話のように疑問や違和感を生じさせたり、自分自身の考えを巡らす機会が持てたことが何よりです。こんな豊かな場が作れるとは思っていなかったので良かったです。
仕事しながら、暇さえあれば本を読んで考えて、原稿作ってスライド作ってを数ヶ月やってみて、ちょっとお休みしたくなったのでしばらくお休みします。
また話したいことが溜まってきたら構想してセカンドシーズンをやってみたいと思います。ありがとうございました。
ついに100枚を超えたスライドを貼っておきます。