きょうくん
教育番組のキャラクターがピクニックに行って友だちとお弁当を食べるシーンで
お弁当箱を開けるとのり巻きが入っているのをみて驚いた記憶がある。
今まで結構な遠足の場数は踏んできた小学校2年生。
私の周りには一人もお弁当にのり巻き(細巻きを切ったやつ)を持ってきていた友だちなんていなかった。
そのキャラクターは実家が寿司屋なのか
きゅうり、マグロ、干瓢とバリエーション豊なのり巻きを持ってきていた。
幼心に「その発想はなかった」と思った。
主に私のお弁当の主食はご飯またはおにぎりだった。
たまに、サンドウィッチを持ってきている友人を見て羨ましがったのを覚えている。
一度母にサンドウィッチを弁当に入れてくれとねだったことはあるが、
料理が大の苦手な母は、卵サンドの卵の部分を作るのにいかに多くの工程が必要かを力説し、結局作ってくれなかった。
のちに大人になって卵サンドの作り方を知ったとき、あの時ただめんどくさかったんだなあと思った。
そんなもんで、私は私のお弁当にバリエーションを持たせることを幼心に諦めていた。
だが、のり巻きならいけるのでは?と思った。
のり巻きも大きい括りにしたらおにぎりと大差はない。
丸いか細いかの違いだ
具はあまりおにぎりには入っていない顔ぶれだけど
正直棒状になっていたらなんでもいいと思った。
ちょっと話は脱線するが、
のり巻きの中で私は納豆巻きが一番好きだ。
物心ついた時から食べていて、朝夕問わず私の腹を満たしてくれる。
「納豆巻きが好き」というと、たまに捻くれた小童から「じゃあ納豆ご飯でいいじゃん」と言われることがあるが、納豆ご飯では納豆巻きの感動を超えられない。
たしかに、構成されているものはほぼ一緒だが納豆巻きの米は高確率で酢飯だ。
酢飯の酸味と納豆のしょっぱさは、ティムバートンとジョニーデップくらい相性がいいと思っている。各々単体でも十分美味しいのだけど、組み合わさると最高の傑作(エンターテイメント)を生み出してくれる。
海苔もまたいい。これはのり巻き全部に共通することだが、
のり巻きの海苔はヘニョヘニョしていて歯にくっつく。が、それもご愛嬌。
本来海苔はパリパリなのが美味しいというやつは一生韓国海苔を食ってろと思う。
酢飯と納豆(ひきわり)、それを優しく包み込む海苔。
シンプルながらも最高の食べもの。
よし、次の遠足では納豆巻きを作ってもらおう。
小二の私は、心の中で決意した。
お弁当のバリエーションを諦め、枯れていた私の心にトクトクと希望の水が湧いた。
トクトクトクトクトクトク………
手に汗を握りながら、でも興奮を抑えて母のいる台所へ向かう。
鼻歌なのか唸り声なのかわからない音を鼻から垂らしながら
夕食の準備をしていた母の元へ向かった。
「あのさー、あのさー、うちさー、納豆巻き好きじゃん?」
とまずはご挨拶程度ののり巻き好きアピールをしてみた。
「えーそうなの?ママ知らなかった」
おっと、予想外の反応。
次に言おうと思っていた「だから今度の遠足はのり巻き食べたい」を飲み込む。
「そうなんだけどさー、うんー…。納豆巻き好きでさー」
「今日ご飯無いよ!」
食い気味のご飯ない宣言。
台所を見るとフライパンでミートソースがぐつぐつ煮込まれていた。
「あのさー、今度遠足あるじゃん?その時のさー、お弁当にさー、納豆巻き入れてほしいんだけどさー…..」
もうこれ以上うだうだしていても仕方がないと思い
語尾のばしのばし作戦で強行突破だ。
「あら、そう。オッケー。納豆巻きね」
綺麗な二つ返事だった。
二つ返事選手権があったらきっと高得点が出るほどの綺麗な二つ返事。
私の心の中の希望の水は勢いよく飛び出して
噴水のように広い範囲に私の心を潤す。
テレビではすでにそのキャラクターの番組は終わっていて、
聞いたことはないけど懐かしい歌が流れていた。
込み上げてきた嬉しさは顔を突き破りそうだった。
遠足当日。
こんなにお弁当の時間を待ち侘びたのはいつぶりだろう。
行きのバスも、アスレチック公園で遊ぶ時間も早くすぎてしまえばいいと思った。
今までは友だちのお弁当を羨ましがるだけの時間が、
今日は羨望をそそられる側になるのだ。
そしてついに待ちに待ったお弁当の時間。
急に押し寄せる緊張と嬉しさ。
トクトクトク..…
お弁当を開ける。
トクトクトクトク……
漫画だったらここでお弁当箱から光が溢れて
「うわ−!」みたいな顔を照らしていただろう。
だが、現実は違った。
ねば〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
とんでもないイトを引いて剥がれた上蓋。
鼻をつんざく異臭。
違う!違う!そうじゃない、そうじゃな〜い♪
あまりその後の記憶はないのだけど
テレビで観た憧れののり巻き弁当とはだいぶかけ離れていた。
そして、想像を絶する異臭。
この経験から、「納豆を外に連れて行ったらいけない」という人生の教訓を得た。
おしまい。