見出し画像

呼吸が落ち着くのを待ちながら

呼吸が苦しい。
そんなことに気付きながら、無理に呼吸しようとはせず、ゆっくりと水を飲んだり、今見ている景色の遠くを眺めてみたりと今できるゆるやかに落ち着く行動をとる。そうした行動をとる自分に気づきながら、身につけてきたことがたくさんあるのだと感じる。

以前までの自分ならこの苦しさを解消しようと躍起になり、かえって状況を悪化させていただろう。そうはなっていない今の自分を見ながら、あえて大袈裟に言えば、よく生きてきたなと褒めたたえたい気持ちさえ湧いてくる。

まだまだ慌てて文字を打っているなと感じながらも、焦らずにただゆっくりと待ってみようとする。
壊れたり崩れたりするのは一瞬だが、元の状態に戻るのには時間がかかる。
もしかしたら、この世の法則かもしれない。
そんなことを考える余裕さえ生まれてきていることに気づく。

こうして言葉にすることも落ち着くために必要なことだったのだろう。
ゆっくりと呼吸する方法は、何もゆっくりと呼吸することだけではない。
そのことをもうすでに知っている。

自然と落ち着いていく呼吸。
呼吸のリズムを損なわせたものは何だったのだろうか。

その答えは眩しすぎるくらいに明白で、わざわざ言葉にする必要もないものだった。
そうであるにも関わらず、呼吸がたった少し乱れるだけでわからなくなってしまうのだ。

焦ってもいい。むしろそれは自然な反応かもしれない。
だからこそゆっくりやる必要があるのだと感じる。

ゆっくりで大丈夫。それは客観的なゆっくりではない。自分だけのゆっくりでいい。

「それは単なる正当化でしょ?」という声がどこからともなく聞こえてくるが、今だけは無視していいだろう。

ただ、ここで大事なのは単に無視するのではなくこう応答してあげることだ。

「あとで聞くから、少しだけ待っててもらえる?」

いいなと思ったら応援しよう!