クラフトビールなどの「クラフト◯◯」は、インディーズ◯◯が好きという趣向と似ている。
「クラフト◯◯」にはモノづくりの希望がある。
クラフトビールにクラフトコーラ、クラフトジンにクラフトサケ、、気づけばクラフト飲料が世の中に増えている。主に飲料にクラフトと付けるのがブームとなっているが、これらのクラフト飲料はちょっと高いのも特徴だ。
クラフトビールで言えばCOEDOビール、クラフトコーラなら伊良コーラにともコーラ、クラフトジンだとHOLONにフォレストジン、クラフトサケなら稲とアガベとhaccobaあたりが上げられるが、大手飲料メーカーが出す飲料より少し高いが、一方で特別感を感じられるのも特徴だ。
もともと手仕事の領域全般が、クラフトと呼ばれていた訳で、そこがルーツなのだと思うが、結果的にこのクラフト◯◯が付く飲料はちょっと特別感を感じるようになったというのは、副産物なのだろうか、最近気になっている。
例えばビアバーに行って、クラフトビールがあったらそっちの方が美味しそうに見えるし、ちょっとくらい高くても価格に不満を持つことはあまりない。そもそも価格とは味の相対性を表すものではない。だから、普通の大手ビールメーカーの2倍の価格だからクラフトビールの方が2倍美味しいとはならない。だが人はお金を出す。ではどこに価値を感じているのか。そこに、大手以外の中小のモノづくりのヒントがあると個人的には感じている。
大手は大量生産する能力を持っているため、規模の経済で商品の価格を抑えることができる。「一般的に」美味しく作るノウハウもあるだろう。だから、同じ土俵で中小が戦っても勝つことはできない。中小の生きる道はもちろん一つでなく、他者が真似できない技術力を持つ会社は技術ブランディングなどに力を入れるべきだ。クラフトビールを始めとするクラフト飲料はもちろん他者が真似できない技術を持っている場合もあるだろう。だが、彼らの本質的な価値はそこではないと思う。
「インディーズ」という言葉がある。特によく見かけるのは、音楽の世界だ。インディーズバンドにインディーズレーベル。インディーズのバンドには狭く深い熱狂的なファンが付くものだ。
反対に、いわゆる大手音楽事務所に所属しているメジャーバンドは、大手メディアで露出し、どんどんメジャーシーンを駆け上がっていく。が、それは同時にコモディティ化するリスクも抱えている。多くの人に届けないといけなくなったメジャーバンドの歌詞は、誰にでも当てはまるが、深く刺さる人の割合が減るリスクも孕んでいる(個人的にはメジャーシーンで好きなバンドもいるので、批判の意図は全くない)。一方でインディーズのバンドは、ファン層が限られている分、ある種ペルソナ像が明確で、狭く深く刺さる可能性がある。また、彼らの成長過程や情報はメディアへの登場が少ない分、ファンにとっては価値があるものとなる。
結果、インディーズの音楽はメジャーに対してのカウンターカルチャーとなり、必ずしも安くないフェスやライブのチケットやグッズが価値あるものとして、一定のファン層を抱えるようになる。
この「インディーズ」という言葉と、「クラフト」という言葉は使われるシーンこそ違えど、似ているのだ。クラフト飲料は、味のクオリティや個性はもちろんだが、地域性や素材、属人性などのストーリーが加わり、大手飲料メーカーに対してのカウンターカルチャー的存在となっていく。
ここにモノづくりの希望がある。
中小企業は日本全国にある。個性も様々だ。プロダクトを作る能力もある。問題は大手と同じ土俵で戦ってはいけないということ。自分たちしか持っていない地域性や素材、属人性などのストーリーをどう価値翻訳するか、どう編集するか、これらの工夫次第で「クラフト」として価値のあるプロダクトたり得るのだ。