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【ヨハクナイト vol.02】自分の人生は自分の物語。その主役であるために、常にワクワクを探している。

第2回目のゲストは、『TESIO』店主 嶺井 大地さん。

yohakuの前田研史が、気になるクリエイターをゲストにお招きし “好きな時間の過ごし方” を尋ねるヨハクナイト

今回のゲストは、沖縄県沖縄市でドイツ製法のソーセージ専門店『TESIO』を営む嶺井大地さんをお迎えしました。立命館アジア太平洋大学の後輩でもあり、“ドイツ”という共通項のある嶺井さん。生き生きと店のことを話す姿から、大いに刺激を受けるインタビューとなりました。

[聞き手:前園 興
※「ヨハクナイト」の記事は、yohaku執筆によるものではなく、第三者的な立場で2人の言葉を引き出してもらうため、ライターの前園興さんにお願いしています。

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立命館アジア太平洋大学の先輩・後輩という関係。

_インタビューの数日前に、沖縄の『TESIO』から色とりどりなソーセージやハム、ベーコンが届けられました。

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「これがあればセット」と名付けられたこのセットは、国際大会で金賞を受賞したホットドッグフランクや肉厚なベーコン、シークァーサー&レモンソーセージ、コーレーグースのチョリソーなど、沖縄の食材を使ったユニークなソーセージなど、『TESIO』の魅力が詰まったギフトボックスです。そんなソーセージをつまみに、まずは大学時代のお互いの印象を尋ねることからスタートしました。

嶺井:立命館アジア太平洋大学(以下、APU)という、大分県別府市にある大学に通っていました。僕は沖縄の伝統芸能であるエイサーのサークルで活動していたんですが、ケンシさんは和太鼓や青森・大川平の伝統芸能「荒馬踊り」のサークルにいらっしゃって、よくお名前を聞いていました。技術の追究の仕方、取り組み方がストイックで、勝手に憧れたりもしていて。当時は直接的なつながりは少なかったのですが、ケンシさんの卒業後に荒馬のサークルの舞台に立たせてもらうことになったときに、そのことをケンシさんがすごく喜んでくれたんですよね。

前田:僕は大地の先輩と仲が良くて、その友人を通じて知っていました。卒業後に大地が荒馬に参加してくれて仲良くなって、僕の結婚式でもソーセージを提供してくれて。APU時代の仲間とは今も濃いつながりがありますね。

ソーセージ専門店『TESIO』を始めるまで。

_充実したキャンパスライフを過ごしてた嶺井さんですが、APU卒業後は暗転。定職に就かず、目標も見つからず、悶々としていたといいます。

嶺井:やりたいことが何もなかったんです。みんながやっている就活の流れにも乗れず沖縄に戻ってきて、どうやったら胸を張って生きていけるのかを真剣に悩んでいました。音楽や芸能など、表現への関心は強かったんですが、自分が表現者になるイメージも持てず…。
そんな時、ある飲食店に出会いました。そこは、ミュージシャンや作家さんなどの交流があり、波長の合う人が集まって自然とコミュニケーションが始まるような店で、明らかに料理だけを求めているわけではない空気感がありました。
そういうお店を自分でも作りたいと思い、沖縄を出ていろんな店を見ていく中で出会ったのが、京都にあるドイツ製法による食肉加工のお店です。ショーケースにソーセージだけでなく生ハム、テリーヌ、サラミなどいろんな種類があって、それらが煌めいている。衝撃を受けました。
沖縄は豚肉を食べる文化があり、米軍があるのでハムやソーセージをよく食べるけど、こういった食肉加工の文化はない。自分もここで学んで、沖縄でそれを表現したいと思い修行に入りました。それが27歳の時で、そこから京都→静岡→岡山と3店舗で経験を積んで、32歳になった2017年に沖縄へ帰って『TESIO』を始めました。

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ドイツ製法のソーセージとは?

嶺井:ソーセージは誰もが知っていると思いますが、どうやって作られているかは知られていないですよね。一般的に私たちが食べているソーセージは、粗挽きした肉にスパイスを合わせて手ごねして、それを腸に充填し、ひねって加熱したものが多いです。
ドイツ製法はもう少し複雑で、専用の機械があります。豚にはいろんな部位がありますが、前足の付け根のあたりにウデと呼ばれる部位を使います。よく運動する部分で筋肉が多く硬いのですが、旨みが強い。『進撃の巨人』を思い出していただくと分かりやすいと思いますが、人間も肩甲骨のあたりに硬い筋が張り巡らされていますよね。豚にとってのその部分を肉屋から仕入れます。その筋肉を、ペティナイフのようなものではがして赤身と脂に分け、赤い挽肉と白い挽肉を作ります。そこに、氷とスパイスを混ぜて、マヨネーズと同じような要領で乳化させます。その原理を肉でやるイメージ。ずっと混ぜていくとクリーム状になるので、それを土台の生地として腸に充填していくという手法です。
そうすることで、プリッとした滑らかさと風味が出て、それがドイツ製法ソーセージの真骨頂ですね。

_このように、ソーセージのことについて語り始めると蘊蓄が止まらない嶺井さん。『TESIO』の商品の中には、シークァーサーやコーレーグースなど、沖縄ならではの食材を使ったものも少なくありません。ドイツの技術と、嶺井さんの独創性がそうしたユニークな商品を生み出すのだろうと想像しましたが、本人はそれを明確に否定します。

沖縄だから沖縄の食材、ではない。

嶺井:実はドイツには行ったことがないんです。ドイツ製法との出会いはあくまで出会った師匠とのご縁で、成り行きだったと思います。
沖縄の素材を使うことも同じで、「沖縄だからこれを使ってみよう」と考えたわけではありません。沖縄の中部に山原(やんばる)という地域があり、ものづくりが豊かで、農家も活発で、自分が魅力を感じる人が多いんです。その中で大宜味村のシークワーサー農家の方とも出会いました。シークワーサーは果汁として絞るんですけど、果皮はその後ゴミになるんですね。でもシークワーサーの成分は残っているから、それを加工肉に使えないかと。本来は使われなかったものが価値になるのがいいと思ったし、『TESIO』はそういう風に、信頼できる方との出会いによって生まれるドラマの中からくみ取ったものを、自分の表現=ソーセージに放り込んでいきたいと思っているんです。

自分の評価よりも『TESIO』の評価。

_そうした姿勢には、ソーセージ職人というよりもどこかキュレーターや編集者のような気質を感じます。ギフトのパッケージや封入されたリーフレットもデザイン性が高いアイテムばかり。ただソーセージを販売するだけでなく、お客さんも含め、関わる人を楽しませようという“企て”があるような…。

嶺井:最初の頃は、僕自身の表現としてソーセージを作っていたところがありましたけど、ご縁がある方々にお任せしながら自分たちのことを汲み取ってもらって、それを使っていく方が広がるんですよね。

前田:自分のこだわりの中に周りの意見を取り入れるって、簡単そうで難しいこと。「余白」のあるものづくりをできているんだなあと感じます。

嶺井:『TESIO』を3年続けてきて、少しずつ自分の意識も変わっていきました。結果的に、応援してくれる方が自然と増えている。自分の表現が認められることへの執着から、少しずつ『TESIO』に関わってくれる人が評価されることへの執着に変わっていったというか。その方が嬉しいし痛快なんです。

時間の境目がなくなる。でもそれが楽しい。

_そんな嶺井さんに、“好きな時間の過ごし方”を聞いてみると、意外な答えが返ってきました。

嶺井:ケンシさんもそうだと勝手に思っているんですけど、自分で事業を立ち上げると仕事とプライベートの境目がなくなるんですよね。人との出会いや新しいひらめきを常に求めているし、ワクワクすることのアンテナを探っているという感覚があって、好きな時間という意識ですらないかもしれません。絶えず自分に問いかけているから、離れられない

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嶺井:でもそれはストレスでもなく、もう人生の一部=生き様のような感じで、常に『TESIO』に活かせるものを考えています。
最近でも、緊急事態宣言が出されたときに『TESIO』としては何ができるか、何をしたらその状況を楽しめるかと考えて、対象エリアの1都3県は送料をいただきません、というサービスを始めたんですけど、そういうのを考える時間を楽しんでいるのかもしれません。

_学生時代しか知らないケンシ君にとって、頼もしく自分の事業について語る後輩の言葉に、どのようなことを感じたのでしょうか。

前田:いやあ、本当にカッコイイ。すごいですよね。
そして聞いていて思ったのは、大地とドイツに一緒に行ってみたいなと。僕も花をドイツで学んだのは同じように成り行きで、たまたま出会った人に「ドイツがいいんじゃない?」と言われただけで、特別な思い入れがあったわけじゃないんです。
でも昨年末に花の展示会をしたときに、お客さんとの対話の中で、ドイツで学んだことをリアルな言葉で話せたのはすごく大きくて。そこにいた数年間の経験や肌で感じたことが、自分が思っている以上に自分の血肉になっていたんだなと。自分の活動の本質の部分で力になっていることに、展示会を通じて気付けました。だから、今これだけ精力的にソーセージを発信している大地が現地に行ったら、もっと凄いことになるだろうなと。

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▲ 左:ドイツ・ミュンヘンの肉屋前、右:ドイツの市場で購入したパン付きソーセージ

嶺井:それはもう本当に行ってみたいです。ドイツに行くときは絶対にケンシさんと行きます。

前田:製品のコラボができても面白そう!

嶺井:それこそ、花とソーセージは一般的には繋がりが感じられにくいけど、僕とケンシさんの繋がりに価値を感じて関心を持ってくれる人たちも必ずいると思うんです。
モノとモノの相性は限界があるけど、人と人の相性は想像以上に広がる。場所やモノが離れていても、その手掛けた人が思いやストーリーを共有できる場があれば楽しめると思いますし、そこに価値を見出してくれる人に届けていきたいですね。

周りと比較して苦しむことはなかったのか?

前田:あと大地に聞いてみたかったのは、修業時代の心持ちなんですよね。周囲と比較して卑屈になることはなかったのかなって。
僕はドイツに行ったおかげで日本とも距離ができ、良くも悪くも他人と比べる必要がなくなったというか、外野の声も気にならなくなってきたんだけど、日本だと周りの人や外野の声も届くわけじゃない? そういうのってどう消化してたのかなって。

嶺井:僕は、本当にソーセージしかなかったんですよね。ずっとみじめな思いをしてて、あんないい大学に行かせてもらって定職にもつかず、何も始まってない。始まるのかすら分からない。その中でやっと見つけたやりたいことがソーセージで、自分が納得して胸を張れる営みに身を寄せたいというところにようやく叶ったのが修業時代なんです。もう失いたくなかったから、なりふり構っていられなかったです。ただ不安は凄かったですよ。地元でどういう目で見られているか分からなかったから、なかなか帰ることもできなかったですし。

_目の前で雄弁に語り続ける嶺井さんからは、そんな風にくすぶっていた過去があったとは想像もつきません。過去の自分から見たときに、今の自分の変化はどのように映っているのでしょうか。

嶺井:でも根本は変わらないと思います。自分の人生は自分の物語。その主役でいられるかどうか。明るい未来を目指しているのは、あの頃も今も変わらないです。今だって店を持ってはいるけど、それで全てハッピーでゴールかというとそういうわけではない。まだ目指したいこと、乗り越えないといけないこともたくさんあります。ただハッキリ違っていることは、僕のことを見てくれる温かい目が増えたということ。それに応えていくには、もっと自分を肯定して、怖気づかずに、自分で自分の人生に期待していくしかないと思っています。

不思議な縁で見つかった、謎の地下室。

_先日、『TESIO』にはちょっとした不思議な出来事がありました。70代くらいの男性が店を訪ねてきて、懐かしそうに店内を見回した後、「昔ここで働いていたんだ。ここには地下があって、仕事終わりの仲間と飲むのが楽しみだった」と語り始めたそうです。嶺井さんはそのことが気になり始め、ついに床を取り壊し、地下室の真偽を確かめることにします。果たしてそこには、男性の言う通りに地下の空間が広がっていたのです。

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嶺井:周りは大反対だったんですけどね。でも気になりだしたら止められなくて(笑)。そのことをFacebookに書いたら新聞記者さんが見つけてくれて、今度は新聞記事を読んだ有名女優の方がラジオで紹介してくれて、今度はそれを聞いてくれた全国ネットのテレビが取材に来ることになって。そういうのが面白いじゃないですか。結果『TESIO』のファンが増えたなと。
そういう風に、これからも『TESIO』の中で日々起こっていることを楽しんで、そこにあるドラマを発信していきたいなと思っています。

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TESIO
TEL:098-953-1131
〒904-0004 沖縄県沖縄市中央1丁目10−3
https://tesio.okinawa/

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