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ポツダム勅令に学ぶ

2023年6月7日。
ドイツの歴史用語にポツダム勅令というものがある。フランスの宗教戦争に終止符を打ったナントの勅令(1598年)をルイ14世が廃止し、ユグノー(プロテスタント)の迫害を開始した1685年に、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(プロイセン公でもあった)が発したもので、迫害されたユグノーを移民として積極的に受け入れた政策を指す。首都ベルリンにあるフランス大聖堂はこのユグノーが建立したものである。

世界史の授業の復習のようで気が引けるが、ユグノーはフランスのカルバン派である。社会科学の巨人マックス・ヴェーバーが古典的な名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で説いたように、このカルバン派こそが資本主義経済を作り上げた勤勉な働き者である。ユグノーは金の卵であり、プロイセンのその後の発展は彼らに依るところが大きいと言えるだろう。
ユグノーはブランデンブルクに限らずドイツの多くの地域で受け入れられた。30年戦争(1618~48年)で極度に荒廃し、人手が足りなかったためである。ユグノーとその子孫は新たな故郷であるドイツの経済をけん引ないし底支えしてきた。ルイ14世のユグノー迫害がなければ、ドイツとフランスの歴史は大きく違っていたはずである。

ポツダム勅令について書いたのは、中国の圧政を逃れる形で英国に移住した香港人に関するフィナンシャル・タイムズの記事の翻訳を先日、日本経済新聞で読んだためである。移住した人々の多くは高度な技術を持っており、ブレグジットの悪酔いに苦しむ英国経済に何がしかのプラス効果をもたらすだろう。カルバン派のような巨大な変革力はないにしても。

翻って日本に目を向けると、人材不足は欧州以上に深刻である。円安で移民を獲得するハードルも上がってしまった。だが、不当逮捕などのない自由な生活を送ることはできるわけだから、圧制からの脱出を検討する人に対しては魅力を発信できるのではなかろうか。
日本が文字や高度な技術を得、文明段階に入れたのは渡来人のおかげである。明治期にはお雇い外国人から多くを学んだ。新鮮な外の風を再び受け入れれば、広い分野で活性化が起こると思う。

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