友だちと会うのに、理由なんていらなかった

いつから、目的とか意図とか理由とか、そういうものがないと重い腰を上げられなくなってしまったのだろう。

こうやって何でもかんでも意味を見出そうとするのが、大人になるということなのだろうか。

だとしたら、ぼくは子どもの面影を残すことなく、大人になってしまったのかもしれない。


「金曜日暇?」

友だちからの誘い。

何の件だろう、どうしてこのタイミングなんだろう。

「ネットビジネスの勧誘?笑」

さりげなく、ジャブを打ってみる。

「そんなわけw」と返信が来て、すかさず「どういうお話?」と核心に迫る。

「すごく言いづらいんだけど」
「暇だから誘った。笑」

と一言。

彼にとっては他愛ないやり取りに過ぎなかったかもしれないけれど、なんだか、自分は大切なことを忘れていた気がした。

そうだよな、別に会う理由なんていらないよな。

理由も無しに会えるのが友だちだったはずで、理由が無いと会えないなんて、そんなのビジネスだ。


何かに意味や目的を見出そうとすること以上に、意味や目的を見出そうとせずとも思わずやってしまうよな、そういう直感や衝動を大切にしたい。

大人になると、素直になれなくなる。

他者に対してではなく、特に、自分に対して。

「何のためにやるのか」、目的や意味が無いとダメな気がしてくるし、自分自身に意味を見出そうと、必死に何者かになりたがる。

子どもの頃はどうでも良かったことでもがき苦しんで、泣きたくなって、諦めたくなって、それでも前に進むしかなくて。

けれど、正解は分からなくて。

そうやってもがき苦しんでいる時でも、理由なんて無しに、ほんの少しでも時間を共にしたくなるのが友だちなんだよな。


「暇だから誘った」

これ以上の誘い文句を、ぼくは知らない。

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おがたのよはく
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