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桜を見れるの、あと60回

春が近づく高揚感よりも、冬が終わってしまう寂しさの方を感じるようになったのは、大人になったからなのだろうか。

ふと、「あと何回桜を見れるんだろう」なんて考えてみる。

幸運なことに、僕は余命宣告を受けたわけでも、どこか体に不調があるわけでもない。むしろ、あまりにも終わりを意識せずに生きているくらいだ。

仮に日本人の平均寿命まで生きられるなら、あと60回くらいは桜を見ることができる。

あと60回。

今まで、明確に「あと何回か」なんて考えたことはなかった。

桜なんて、毎年何となく眺めて、何となく写真を撮って、何となく「散ってしまうのが寂しい」くらいの感覚だった。

友達。

ひょんなきっかけでLINEのグループができて、あれよあれよと日程が決まって、久しぶりに会ってみたら、長い月日が嘘のように感じられるくらい話が止まらない。終電を忘れて思い出に浸る夜は、敢えて言うならエモい。

「また会おう」

決して社交辞令ではない、いや、仮にそうだったとしても、限りなく本心に近い社交辞令を交わし合う。

あと何回会えるのだろう。

例えば、誰かがどこか遠くの地へ転勤になってしまったら。誰かに家族ができたら。

「次はいつ会えるかな」なんて考えているうちに、“あの夜”はすっかり手の届かない体験に変わってしまうかもしれない。

まだまだ青くて未熟だからなのだろうか、僕らはいつも「始まり」ばかり意識してしまう。

「何者かになりたい」
「このままじゃダメだ。何かしなきゃ」

それらは、マイペースに生きていた自分の終わりであり、現状に満足できていた自分の終わりでもある。

「終わり」を意識すればするほど、「始まり」のハードルは上がってしまうかもしれない。

けれど、「終わり」を意識すればするほど、終わりまでの一回一回の重みがはっきりと感じられる。大切にしたい、丁寧に過ごしたい、という思いが強くなる。

高校生の頃は、終わりなんて想像できなかった。

引退とか卒業とか、どこか非現実的なものだと思っていた。

「また明日」が永遠に続くと思っていた。

そんな高校生当時の想像力を、今となっては羨ましく感じるけれど、終わりを想像して今この瞬間を噛み締められるなら、「大人」も案外悪くない。


今年の桜、いつ満開になるんだろう。

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