2021年も、出会えなかった
好きな芸能人やYouTuber、久しく会っていない同級生、お世話になった先輩、田舎に住む親族、“今年も会えなかった人”もいれば、“今年はやっと会えた人”もいた。
会いたい人や会ってみたい人はたくさんいるけれど、「会いたい」と思う全ての人に会う前に、どうしても会っておきたいヤツがいる。
自分自身。
今年も会えなかった、いや、出会えなかった。
偶然も必然も、どんな出会いよりも、そろそろ僕は「自分自身」と出会いたい。
「自分はこういう人間だ」
「〇〇で××なのが自分だ」
そんな実感、実感というより手触りが欲しい。
「自分探しなんて無駄だ、自分は今ここにしかいない」
自分という「存在」は確かにそうだ。言うまでもなく、今ここにしか存在しない。
自分という「概念」はどうだろうか。
ただの概念にどうしてこんなに振り回され、人生の手綱を握られてしまっているのだろう。
改めて現状を言葉にしてみると、たかだか概念に振り回されている自分が滑稽に思えて仕方なく、呆れる以外の選択肢がない。
「フォロワー数」に一喜一憂し、そんな自分が真の自分と思っている人たちと何ら変わりない。
振り返ってみると、今年も様々な自分と出会っているはずだ。
「ときめく自分」
「愛される自分」
「傷つく自分」
「苛立ちを覚える自分」
様々な出来事があった。それらを通して、様々な自分を見てきた。
「新しい自分と出会える」
そんな魅力的な文言に惹かれて、何かを学んでみたり、購入してみたり、チャレンジしてみたり。
そうしたら、「新しい自分」なんてきっといない、と分かった。
今まで気づかなかった「自分性」や「自分み」が露わになるだけだった。
それで良い、と今年は思えた。少し。
今までの自分だったら、どこか不満足げに「こうあるべき」なんて厳しくジャッジして、常に満足しない自分に酔いしれて、けれど、結局本音とのギャップに苦しんで、何も見えないままモヤモヤした日々を過ごしていただろう。
今年も、新しい自分とは出会えなかった。
けれど、「思わぬ自分」には出会えたのかもしれない。
自分探しの旅はまだまだ終わりそうにないけれど、来年も、思わぬ自分と出会えたら良いな。