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点と点が線にならなくても。いつかの自分が、都合よく、良い感じに、解釈してくれる

「真夏のピークが去った」と天気予報士がテレビで言って久しいけれど、あいにく、自宅にテレビを置いていないから分からない。

テレビを置かない生活を始めてから、7年。
2ヶ月に1度くらいはこうして腰を据えて文章を書くようになって、2年。
旧友と疎遠になって、かれこれ、何年になるのだろう。

毎日を精一杯生きている、と言えば聞こえは良いけれど、良くも悪くも日々を何となく生きていて、今日という「点」をむやみに打ち続けているだけのような日々。

だから、ふとした時に「あれからもう何年経つのか」、「まだ何ヶ月しか経っていないのか」なんて「線」を意識すると、不思議な感覚になる。

あの時の経験は、果たして意味があったのだろうか。
この選択は、本当に正しかったのだろうか。

点と点が線になってくれていれば良いけれど、思いとは裏腹に、点は点のままで、まだ線になっていない気もする。きっと、これから線になるのだろうし、点は点のままでも良い。

自分以外の人生だけが前に進んでいるような感覚、自分もまた誰かにとってそう思われているのかもしれないという感覚。

あの時辞めていなかったら、あの時もう一踏ん張りしていたら、あの時もっと自分に正直にいられていたら。

今は肯定的に解釈できている過去も、この先のいつかの時点では、思い出したくもないほどの最悪な過去として解釈されてしまうのかもしれない。もちろん、最悪な過去が最高な過去として上書きされることも。

過去は変えられないけれど、幸いにも、過去の認識は変えられる。けれど、過去の認識はいかようにも変えることができ過ぎて、時に苦しく、時に救いにもなってしまう。

当たり前のことをそれっぽく、これといった立場を表明することもなく、誰も傷つけないよう配慮をしている風を装って、とりとめなく書いているだけで。

今の自分にとっての当たり前は、この先のいつかの自分にとって当たり前でなくなっているかもしれない。だから、今の感覚を、できる限り頭の中にあるまま文字に起こしてみたりしている。


書き溜めた文章の良し悪しも、書いた意味があったのかどうかも全て、未来の自分が、何かの拍子に自分の文章を見返した時に判断すれば良い。そう思いながら、今も、これからも書くことになりそう。

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おがたのよはく
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