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今はまだ、まどろみの中で

「今度、ご飯でも行こう」

一体、今ぼくは何件のご飯の予定を保留しているのだろう。

街でばったり会った時の別れのセリフを、どうしていつもこれにしてしまうんだろう。

社交辞令で言っているわけではない、と言えば嘘になるけれど、100%社交辞令とは思っていない。本当にご飯に行きたい気持ちはある。

それでも行かない、いやその約束を取りつけない理由はきっかけが無いからでも、誘う勇気がないからでもない。

どこか、会うことに後ろめたさがあるからだ。きっと。


過去お世話になった人、深く関わっていた人たちに合わせる顔が無い。

99.9%は自分の思い込みに違いないけれど、0.1%が99.9%を凌駕してしまう。

ぼくは、あれから何も進歩していない。

「何も進歩していない」とは言い過ぎだと分かっているのに、それでも「何も進歩していない」と言うのは自分の悪いところで、当たり前の基準が高いのか、ただプライドが高いだけなのか、おそらく後者。

テストで良い点数を取ったのを確認できてから誰かに報告したい、そういう心境なのだ。

自分と真正面から向き合うと決めて選んだ道は想像以上に長く、勢いよく走り始めたものの、ゴールが見えないと気づいた途端ペースダウンしてしまった。

「人生は長い、まだまだこれからだ」

それを言えるのは長く生きた人だけだ。どう頑張っても、その言葉の重みや意味が染み込んでこない。

けれど、痛いほど理解はできる。


「自分と向き合う」というのは、「自分以外と向き合わない」ということなのかもしれない。

自分と向き合おうとするのではなく、極力自分だけと向き合えるように、自分以外の何かを減らしたり、時には遮断する、言い換えれば、自分しか向き合う対象がない状態を作るということだ。

合わせる顔が無い、自分は進歩していない。

それは、誰かが進歩していると知っているから、誰かが充実していると知っているから湧き上がる気持ちで、積極的に取り入れるべき情報ではないのかもしれない。


自分と向き合おうと決めてから、かれこれ1年経とうとしている。

まどろみのような日々を過ごしながら、早く答え合わせをしたいと、焦燥感に駆られている。

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おがたのよはく
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