非合理と余白、秋めいて。
曲がりなりにも二十数年生きてきて、良くも悪くも、自分のことを客観視できてしまっている。
「いつもの自分なら、きっとこっちを選ぶだろうな」
「あ、また押し負けそうになってこっちを選ぼうとしている」
二十数年生きていると、今まで何となく「大人がすること」だと思っていたことがそうではなくなって、いよいよ自分も向き合わねばならないことに変わっていく。自分は自分のことをまだ「大人」だと認めたわけではないのに。子どもと大人の狭間を、この曖昧な境界線を、いつまでも何となく漂っていたいの