小さなことで一喜一憂し続けたいし、大きなことに夢中でい続けたい
些細なことで傷ついてしまったりモヤモヤしてしまう人は、些細なことで喜べたり気持ちを切り替えることのできる人かもしれない。
「繊細」というのは、文字通り、すぐに壊れてしまう脆さを持ちつつ、そのさまが美しく魅力に感じられたりすることだ。
「小さいことは気にするな」
銀のコスチューム、かつてお茶の間でエンターテイメントとして消費したあの言葉は、他者の人生を平気で覗き見れたり些細な何かで溢れている現代を生きる僕らに、そっと寄り添ってくれる言葉だったのかもしれない。
とはいえ、小さいことを気にしてしまう人に「小さいことは気にするな」と面白おかしく、いや、真剣に伝えたとしても、実際なかなか難しい。
そもそも、何かを「小さなこと」と思うか否かは、人それぞれの価値観によって判断されるわけで、小さなことを気にしてしまう人にとっては、決して小さなことではないから気にしてしまう場合だってある。
「周りの目なんて気にするな」
これも、意味こそ違えど、似たようなものかもしれない。
周りの目を気にしてしまう人に「周りの目を気にするな」と助言するのは効果的ではないかもしれない。そんなことは本人が最もよく分かっているのだから。
小さなことを気にするのも、周りの目を気にするのも、些細な何かで一喜一憂できたり、協調性が高く周りへ配慮できる、などと解釈すれば決して悪いことではない。
特に、ことあるごとに一喜一憂できるのは、大切にしたい感覚だ。
年齢を重ねたり、経験を積んだり、成功・失敗したりする中で、非日常が日常へ変わったり、想定外が想定内になったり、かつての理想は現実になっていたりする。
あのとき喜べたことが今では当たり前で、あのときの苦しみ程度では動じなくなって、良くも悪くも心に動きがなくなってくる。
大人になって様々な何かを得たのと同時に、ことあるごとに一喜一憂できる感覚も失ってしまった。手に入れたいと願ったものが今目の前にある現実、毎日それに心の底から感謝や喜びを感じられるだろうか。
“夢中や没頭は全てを癒す”
小さなことを気にする余裕もないくらい大きな何かに直面したら、周りの目が気にならなくなるくらい夢中になれる何かがあったら。
気になってしまう何かから気を逸らすのは難しい。今度は、気を逸らすこと自体に気を取られてしまうから。
だから、もっと気になってしまう、できれば夢中や没頭といった感覚になれるような何か、それを見つける。
幸い、僕らの脳のキャパシティはある程度決まっているから、同時にあらゆることで苦悩するのは難しい。何かに夢中になればなるほど、小さなことが脳内に占める割合は低くなっていく。
小さな何かに一喜一憂できる繊細さを持ちつつ、大きな何かに夢中になれる素直さや好奇心を持つ。
もし、いずれの感覚も持っていたら、夢中の方がやっぱり強いから、小さなことは気にならなくなるんだろうな。
こちらの企画でいただいたコメントをもとに書いた文章でした。
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