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【ガンになって5年】1kgの蕎麦に命を救われて気がついた3つのこと。

(このnoteは僕がガンとの5年間の付き合いで感じたことを備忘録的に垂れ流しています)

蕎麦に命を救われたことがあるのは、世界で僕くらいじゃないだろうか?

高3の夏、学校から2駅隣に1kgの蕎麦を500円で食べれるお店ができた。

新しいものが好きな僕はすぐさま友達と蕎麦屋に向かった。ワサビやら胡椒やらをふんだんに使い、味をこまめに変えながらなんとか1kgの蕎麦を完食。これが僕の人生を大きく変えた。

その日の夜、裂けるようなお腹の痛みで目を覚ます。我慢しようとしても唸り声が出てしまう痛さに「もう一生蕎麦食わん、もう一生蕎麦食わん」と唸りながら蕎麦を呪う獣になっていた。

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次の日もその次の日もお腹の痛みは消えず、流石に何かがおかしいと感じて病院に行ってみた。そこで腹痛の原因がガンによる腫瘍だと告げられた

ガンだと聞いたときの最初の感想はショックとかではなく、「やっぱりこの腹痛は気のせいじゃなかったか!ただの便秘だったら恥ずかしいからよかった!」という感想だった。

そんな楽観思考の僕が想像もしていなかった闘病生活がそこから始まる。幸いにも蕎麦がつまってくれたおかげで比較的早い段階でガンを発見できたおかげでなんとか今も生きている。かくして僕は世界初、蕎麦に命を救われた人間になったのだ。

正直闘病生活を思い返すとそれなりに気分が悪いのでいままで全く語ってこなかったが、一区切りがついたので言葉にしてみようと思う。

1.人の生きる意味は、与えられた役割を果たすこと。

ガンが発覚してその日のうちに緊急入院が決まると、いよいよことの重大さがわかってきた。人生初の手術。目が覚めるとicu(集中治療室)にいる。食べ物は全て流動食。病室に戻って抗癌剤治療について説明される。抗癌治療が始まると2回目の投与くらいで髪が抜け始め、しばらくしたら完全なツルツルに。(結局大学1年の6月くらいまでずっとカツラで過ごしていた。これを知らない同級生も多いはず)。

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抗癌剤投与のたびに吐き気が強くなる。(今でも病院の匂いを嗅ぐだけで勝手に嗚咽する。投与の前によくおにぎりを食べていたので、ある日から突然おにぎりを食べるだけで吐き気がしてしまうこともあった。)

あまりのペースでドラマでしか見たことない内容が次から次に起きるので「あ、これは死ぬかもしれん」ということを実感した。死亡率について調べようとも思ったが、怖くなって手を止める。高3の一番大事な時期に入院。(結局高3の1年間の1/3を病院で過ごすことになる。)中学からなんとなく東大に受かるつもりだったけどそれどころではない。生き抜けるかもわからないし、生き抜いても想像してた成功ルートは絶望的。歩けないし暇なのでひたすらボーッと外ばかり眺めていた。

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ある日担任の先生が病室を尋ねてくれた。クラスのムードメーカー的な存在だったので「増田くんがいなくてクラスのみんなも寂しそうですよ」と伝えてくれた。嬉しかった一方で、ふと「僕が死んだらクラスはどうなるんだろう?」ということを考え始めた。1ヶ月たって僕のことを思い出す人が何人いる?1年たったら僕のことを思い出す人が何人いる?僕が突然死んだとしてもクラスは僕以外の誰かがムードメーカになって同じように回り続ける。漠然と自分はクラスの大事なピースだと思っていたけど、全くそんなことがない。自分が与える影響力のなんと小さなことか。

僕は東大に行ってコンサルに入っていっぱい稼いで世界を引っ張っていくんだ!と勝手に思っていた。なんかすごいやつになると勝手に思っていた。でも僕が担うはずだった役割は単に世界から与えられただけであって、その役割は誰であってもいいんだ。世界の重大なピースだと思っていた自分は本当に本当にちっぽけな存在だった。

そんな時ふと古代ギリシャの哲学者エピクテトスの言葉を思い出した。

記憶しておくがよい。君は演劇の俳優である。劇作家が望んでいる通りに、短編であれば短く、長編であれば長い劇を演じる俳優だ。作家が君に物乞いの役を演じてもらいたければ、そんな端役でさえも君はごく自然に演じるように。足が悪い人でも、殿様でも、庶民でも同じこと。君の仕事は、与えられた役を立派に演じることだ。その役を誰に割り振るかは、また別の人の仕事である。 ーエピクテトスー

世界には様々な役割がある。クラスを盛り上げる役割、朝ごはん作る役割、会社で広告を回して利益を出す役割、家で怠惰な生活を送る役割。

全部が全部、ただの与えられた役割であってそれを演じるのは誰でもいいのだ。ただ与えられた役を精一杯演じることだけが舞台に立つ(世界に生きる)意味だ。まだ自分の役割がわからない人は「役を探す人の役」をしてるだけだから焦らなくていいし、役は常に複数持つはずだからすでに持ってる役だけを精一杯演じていればいい。一生懸命人生に向き合うことだけに生きる意味があるのだ。

この考えは退院した後も付き纏うことになる。大学に入って留年した僕は友達の誘いでseoの会社でインターンを始めた。seoに適性があったのか、半年後にはかなり大きなkwで1位を取れるようになり、おそらく僕が書いた記事だけで月に1,000万円くらいは売り上げていたと思う。

▼そのときの話をまとめたnote

このときの僕は「seoの記事が書ける人」を演じていただけだったのだ。僕よりその役割を上手に演じることができた人はそんなにいなかっただろうし、上手に演じ切ったこと自体はとても素敵なことだと思う。だが、自分が偉い・すごいはとんだ思い上がりだということに気がつけた。

まとめると...

・人はちっぽけだがそれぞれ何かしらの役割を持っている。

・人の生きる意味はその役割を一生懸命演じきることにある。

・演じる役に優劣はなく、その成果にも優劣はない。

2.運の8割はコントロールが可能

僕はびっくりするくらい運がいい。蕎麦に命を救ってもらえるし、ガンでほとんど学校行けなくてもなんとか合格最低点で現役東大に行けたし、留年したと思ったらそれが6億円で会社売却のきっかけになった。誰がどう見ても運がいい。ただ世の中の運には制御可能な運と,制御不能な運の2種類の運があることに病気になってから気がついた。

例えばガンになったことや蕎麦に命を救ってもらえたことは全くもって制御不能な運だ。ただ東大に最低点で合格したのも留年をきっかけに事業売却できたのは少し違う。そしてその違いは努力とはまた違った能力な気がするのだ。

例えば東大の受験勉強の話をしよう。僕は勉強がとても嫌いだった。ただでさえ病気で勉強する時間がない中で、さらにスポーツや娯楽にかなりうつつを抜かしていたので、勉強ができる一部のクラスの男子たちに「受かる訳が無い」と陰口が言われる始末だった。

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そこで僕は「今年は出題形式の変更は起きない」という仮説を立てた。何が出るかわからない状況で勉強すると思うとキリがないのだが、出題形式の変更がないと仮定すれば過去問を全年度分とくだけでいいので勉強量は体感だと20分の1くらいになる。そして過去のデータに当てはめてみた。するとこの勉強さえしてれば(出題形式の変更さえなければ)合格点はほぼ確実に取れることを確信できた。あとは出題形式が変更されるリスクをどう考えるかだが、形式が変わる確率はせいぜい20%くらいだし、そもそも当時の僕は東大にそこまでこだわりがなかったので、僕からしたら小さなリスクだった。もちろん東大に100%受かりたい人はもっと勉強した方がいいし、全然不合格だった可能性もあったが、確信していた通り、僕は東大に受かった。(まさか最低点だとは思わなかったが。笑)

ここで僕が運について気がついたことが、運のほとんどは、

・運が舞い降りそうな場所を探すこと

・運が舞い降りた場所にいたときにパフォーマンスできる力を蓄えること

でコントロールできるんじゃないかと気がついた。

僕の好きな漫画「ブルーロック」の87話に「運のカラクリ」について触れられたことがある。

運は降ってきてから考えたってもう遅い。出現を想定して準備していつそれがきても掴み取れるように己を高めその機会が落ちてくる場所を見極めて待つ

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まさしくその通りで、ボールがどこに落ちるかは最後は運だが、それ以前の「どこにポジショニングするか」「シュートする体勢・技術力か」は運要素以上にコントロールできる幅があるのではないだろうか?

だから端から見たら「病気で勉強時間が少なくてかわいそうだけど受かってすごいね」とか「全然テニスやらカラオケやらしてたのによく受かったね」と言われるたびに、「受かったこと自体はとてもラッキーだけど受かるとも思っていた。」というのが僕の理解だ。

まとめると・・・

・運には制御可能なものと制御不能なものがある。

・運の8割が制御可能である。

・運を勝ち取るには、「ポジショニング」と「能力の蓄積」が鍵になる。

ただ最初に述べたように、どんなに切り離してもコントロールできない運というのも常に存在する。確かに発生を制御することはできないのだが、実はこの運も違う形で制御することができることにも気がついた。次の章ではそれについて話そう。

3.幸福の大きさ=認知力の高さ

ガンになってから一度だけ泣いたことがある。というより泣いてみたことがある。

あまりにも物事が急ピッチで進むので僕は泣く状況を見つけることができていなかった。だがドラマでみる「親に隠れて1人で泣く」という大和魂に憧れを感じていたのが高3の僕。試しに部屋にこもって泣いてみることにした。

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「なんで僕だけ〜、人生どうなるの〜、死にたくない〜」

驚くことに、想像してみると意外と自然と涙がでてきた。深層心理にはきっとそういう不安もあったからだろう。だけどすぐ飽きた。泣いても頭と鼻が痛くなるだけだったからだ。

このときに気がついたことは死がチラついた局面でも人は意外と冷静であること、そして悲観的になる能力も持ち合わせていることだった。

例えばこんな経験がないだろうか?親と喧嘩してイライラしているところに友達から電話がかかってくる。すぐ話は終わり電話を切ると、またイライラに戻るけどなんで怒ってるかは忘れてしまう。僕も昔はよくあった。この状況を分析すると、友達からの電話はハッピー(を装えるくらいには)に対処できるくらいには冷静だが、イライラした感情が先行している状態だ。そして今思うと非常にもったいない。なぜならイライラしても状況は改善しないどころか、相手に不快感を与えて状況が悪くなるからだ。

病気の話に戻そう。確かに病気は回避ができないし、死ぬ可能性や思っていた人生とは違う方向に進む可能性はかなりある。だけど悲しむことで状況は好転しないどころか、生きることや思い通りの人生を歩むことに反する行動な気がしたのだ。人は大変想像力が豊かな生き物だからいい可能性から悪い可能性まであらゆる想定ができる。これはすごい能力だ。危機を想定する能力は危機の回避に大いに役立つ。ただ僕は、事実はただ事実として受け止めて感情は自分が思うようにコントロールすることを提案したい。それは不可避な状況はどうあがいても不可避だから自分の都合のように解釈した方が生きやすいからだ。

例えば、毎日の食事だってそうだ。僕は去年の夏に無人島に何泊した。

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食べ物は持って行かず、釣竿と水だけ。取れる魚は明らかに食べることができなさそうな熱帯魚のみ。スコールと強風に揉まれて体力を少しでも温存するためひたすら空を眺めて横たわる。流れてくる雲にドーナッツに似てるものを何個も探した。そんな飢餓状態の中、本土に帰還して最初に食べたのが野菜のお浸しに感動した。食べれる草なんか一個もない世界からいっぺん、数ヶ月かけて畑で野菜を育て、海から塩をとり土で大豆を育てて一生懸命加工した醤油と和えるなんてなんて贅沢なことか。水分に滴る野菜と濃い醤油の味に涙が止まらなかった。食事はどうあがいても誰もがする。だからこそ、この行為に毎回感謝して美味しいと感じることはどれほど幸せなんだろう、と気がついた瞬間だった。

幸せは常に転がっている。食事もそうだし、人間関係もそう。幸せな人と幸せじゃない人の違いは世界をどう認知しているかの違いでしかないのだということに気がついた。「幸せになりたい!」と思ってる人は、すでに幸せなのにそれを認知していないだけ。地位や名誉とは一切関係ないものなのだ。

そして、これが僕が今会社をやっている理由に繋がる。例えばそこに立っている木を想像してみて、「もしその木の種類を知っていたら?」「もし葉っぱ一つ一つの違いに気がつけたら?」目の前にあるただの木がもっともっと美しく見えるはずだ。僕は会社をやることでもっと多くのことを知って、目の前に存在している世界というものをもっともっと美しいものだと認知できると思うのだ。幸せの大きさとは認知力の高さなのだから。

終わりに

以上、僕がガンとの闘病生活を経て感じたことを書きました。ガンになった瞬間は人生詰んだと思ったけど、こう考えるとガンになって良かったとすら感じます。応援してくれた人たちのおかげですね。感謝。これからもいろんなことに挑戦して、できること・気がつけることを増やしていくのが今の僕の役割だと思っています。

特に目的もないノートなので勧誘などもしませんので、ちょっといいなと思ったら一言コメントやシェアしてくれると嬉しいです。ではでは!

病気に関してよくある質問

Qガンはもう治ったの?

本格的な治療自体は1年くらいで終わっていて、再発が予想される5年間の経過観察で異常もなかったのでもう治ったと思っていいと思います。心配してくれてありがとうございます。

Q後遺症はないの?

髪の毛とか吐き気とかはもう余裕です!ただ元から風邪ひきやすかったのがさらにひきやすくなった気がするのと、体温調節が苦手になって冷房でお腹壊したり風呂に長居できなくなったりしてる気がします。あと点滴を指していた左腕の血管は黒ずんでしまったのが美肌男子の僕にはショックです。心配してくれてありがとうございます。

Q病気になって何が変わった?

心がとても強くなりました。オラつかなくなりました。ご飯が美味しく感じるようになりました。元々一重だったのが二重になりました。

Qガンが治った今の気持ちは?

生きてて超ラッキーって思うのと同時に、そう思うってことは意外とずっと再発不安だったんだな〜と気がつきました。ポジティブであることと不安がないことは全く別で、不安な面ともニュートラルに向き合いながら生きていくのが生きやすうそうですね、って学びになりました。感謝。

https://twitter.com/Yoh_Masuda/status/1367335417981235201

Qかつらってバレないの?

普通にしてればまずバレません。ただ高校時代にサッカーとバスケの最終に1度ずつカツラが取れたことがあります。みんな見ないフリをしてくれます。優しい世界です。大学に入ってからは多分バレてないです。大学デビューしたすぎて金寄りの茶髪のカツラをかぶっていました。もしカツラだと気付いてた人いたらこっそり教えてください。

Q最近何してるの?

前からやっていた広告事業に加えて、不老不死に関する事業とか、命に関わる産婦人科事業を運営してたりします。命大好き。


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