見出し画像

痛みの地層(※自傷行為についての描写あり※)

自傷行為は、私の(おそらく)克服するべき主たる症状のひとつだ。
これまでに2度、自傷行為についての記事を書いた。


今回もまた自傷行為について書く。
それは、自傷行為が私の(おそらく)克服すべき主たる症状のひとつであり、私の持てる主たる手段のひとつが「記述すること」であるからだ。



さまざまな形で、さまざまな痛みを感じる。
それは鼓膜を震えさせない音であり、網膜に映ることのない像である。
悪夢としての痛み、幻視としての痛み、幻聴としての痛み、悪寒としての痛み。
痛みはこの身体そのものを使って、主張を試みる。
慢性的な全身の疼痛として、そして痛覚を使わない「存在」として。

痛覚を伴わない、ただの存在としての痛み。

地層、とそのとき僕は訴えていた。
身体の奥に、痛みの地層があるんだ。
私は、痛みの地層を、掘り当ててあげなくちゃいけないの。

身体の奥深くに、刃をぐいぐいと進める。どんなに切り進んでも、痛みの地層に辿り着くことはない。逃げ水のように、痛みの地層は退いていく。
ぬるぬるとした血液で手が滑る。刃は瞬く間に鈍る。痛みの地層は逃げていく。

まるで狂人だね、とせせら笑うように黒い文字が浮かぶ。
この身体が現場じゃないんだよ、と諭すように彼が言う。
わかってる、わかってる、わかってる、と僕は大声で叫ぶ。
もうやめてよとヒステリックな少女の声がして、いつまでいつまでと鴉が喚く。

全部が終わって空が白んで、ぼうっとした頭でふと気づく。

距離。

記憶との距離、と医師は言っていた。
痛みは記憶なんだ。
焦って繋がろうとしちゃだめだ。

言葉が上滑りする。理解にも納得にも程遠い。この焦燥感はどうしたらいい。
痛みの地層に急速に届こうとする、この恋にも似た切迫感を、僕は今どうしたらいいんだ。

いいなと思ったら応援しよう!