#ぼく街金 の感想とか。
前書き:ツイートするよりこっちの方が早いので、こっちに書きました。ただの感想です。リンク張っときますけど、ネタバレはそんなにないと思います。
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少なくとも日本で生きていれば、借金なんてそんなに遠い世界の話じゃないと思います。そもそも、国自体が結構な額を借金しているからにはそれも当然ではあるのですが、そうでなくて、もっともっとミクロな僕たちの日常世界にも、借金というものはありふれている。街には色んなタイプの融資の広告や看板が立ち並んでいるし、お家に帰ってテレビをつけても、俳優たちが笑顔でローンや何かをアピールしている。一息ついてテレビを消し、自分の身の回りの出来事を振り返ってみても、飲み会のツケやリボ払い、はては学資や住宅のローンにいたるまで、あらゆる規模での人生の行動の瞬間において、お金の貸し借りがかかわっていることに気づかされます。
ですが、「街金」となるとどうでしょう。急に現実味が失われていき、身近な体験もなにも思いつかなくなります。僕はこういうときに、似ているけど少し違うものごとから、その特徴や性質を類推してみます。銀行でもなくて、アイ〇ルでもなくて、それよりもっと違う金貸しって…どんなんだろう。
——ミナミの帝王みたいなやつかな。怖いな。テツクルさんも竹内力みたいなルックスで、山本太郎みたいなやつを使いっぱしりにしてるのかな。めっちゃ怖いな。怖すぎるな。
…まぁ、ここまでひどくなくても、「闇金」と混同する人は僕以外にも結構いるようです。そんな僕たちのために、テツクルさんは書籍の入り口部分ではっきりと説明しています。
まず、街金を誤解しているひとが多いので、説明させてください。 街金と闇金はまったくベツモノです。 国や都道府県に貸金業者として登録して、強烈な監視の下でお金を貸しているのが街金です。 街金は、法律で定められた金利の範囲でお金を貸しています。 範囲といっても、上限いっぱいですが。 (出典:『ぼく、街金やってます』 はじめに -----街金のこと、教えます )
「あぁ、そうなんだ。じゃあ、案外フツーなんだね」と思いかけますが、そんなわけもありません。多重債務者を中心に、ページをめくるたびに、タイプの違う怖い人やヤバそうな人が次々と立ち現れては去っていく。これは、そういう本です。
——木更津キャッツアイで宮藤官九郎が描写した、怖いおじさんたちが助っ人を呼ぶ野球は本当にあるんだ。クドカンの妄想じゃなかったんだ。
とか、
——最初はみんなお客さんだから敬語で接するけど、支払いが滞りだすとタメ口で詰められるんだ。やっぱりもうお客さんじゃなくなるんだ…。
とか、およそ僕が生きてきたなかでは、知りようもなかった(知らない方が良かった?)世界への気づきを沢山得ることができます。
もちろん、これまでに公開されたテツクルさんのnoteにおいても、そのエッセンスは存分に堪能できると思います。ですが、カニカマと蟹そのもの、あるいは焼肉さん太郎と焼肉そのものは全然違うように、本書とnoteのエントリもまた、別物なんじゃないかと思います。
その一番の違いは、すらたろう(twitter: @sura_taro)氏の書評からも示唆されるように、本書がテツクル氏そのもののエピソードではなく、「テツクルさんから融資を受けた債務者のふるまい」にフォーカスを当てているところによると思います。
これは、先に引用した「はじめに」や、ダ・ヴィンチニュースでの書評でも言及されているように、「彼ら/彼女らのふるまいを教訓にして、読者が同じ道を歩まないようにしてもらう」ということが本書のコンセプトともなっていることが関係しているんだろうと僕は推察しています。
テツクルさんの文体は、このコンセプトによく合っていたんだと思います。物語の中には、読み進めていくうちに、読者がその世界の登場人物に没入したかのような錯覚を起こさせるものがあります。しかし、テツクルさんの筆致はそれとは少し異なると思います。どちらかというと、あまり温度がなくて、あくまでも淡々と目の前で人が動き、状況が変わっていくのを眺めている感じです。というか、あまりにも淡々としすぎていて、目の前の状況とその描写がうまくかみ合わなくて、面白くなることさえあります。
いきなり石のようなもので頭を殴られます。ちょう痛いです。(p51)
いやいやいや絶対もっと痛いよね!?!?!?とか思うんですが、距離を置いた視点から、落ち着いた描写をしているからこそ、読者は安心してその現場を(神の視点から)眺めることができるのでしょう。
そういえば、この本の裏表紙や各チャプターには、ドアの覗き穴からテツクルさんがこちらをのぞき込んでいるような(逆にこちらから彼のいる場所をのぞき込んだのかもしれないけど)イラストが配置されています。あれは、僕たち読者が、本書のエピソードを眺めているときの距離感をうまく比喩していたのかもしれません。
それにしても、テツクルさん自身が自分の体験を俯瞰した視点から描写できるというのは不思議なことです。もしかしたら、「貸した後に回収すること」という長いスパンでの思考が要求される場所で(物理的にも精神的にも)ずっと戦い続けてきたことが、こうした視点を得ることにつながったのかもしれません。そういう視点を持てることは素晴らしいし憧れを抱かなくもないですが、僕があの厳しい取り立ての世界に立つことを思うと、この程度にとどめておくのが正解かなぁ、と思わされるのでもあります。
以上、本書への雑感です。
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以下、全宅ツイのファン的な視点から。
全宅ツイが本になる!なんて言っていたことも、もう5ヶ月も前の話らしいです。そう思うと、8月の初頭に全宅ツイの会員の著作本が出ることなんて、特に驚くことでもなかったのかもしれません。
それでも、その1冊目(あるいは先駆け?)がテツクル(@tetukuruixi)さんの街金モノローグになるというのは、いったいどれだけの人が予想していたんでしょう。僕は予想していなかったですし、結構びっくりしました。
とはいえ、改めて考えてみると、別に不思議ではなかったとも感じました。実は、不動産界隈にいない僕が、最初にフォローした全宅ツイの会員はテツクルさん(正確にはデベ夫人@devemistressとテツクルさんなんですが)だったんですよね。専門的な知識がない人でもフォローしたくなる、わかりやすい面白さがあったことが、その一因だったんだと思います。
そして、その素質はたぶん、twitterのフォロワーよりももっと広く、マス層に対して届けなければならない、書籍というメディアにはとても大事な要素だったんだと思います。140字で起承転結がある面白さとかじゃなくて、みんなが知りたいけど踏み込めない世界で生きていること、それ自体に面白さがあった。だから、noteもすごく評判になったんだろうなと思います。だって、小指があるとか、当たり前のこと言っただけで拍手起きる人ですし。
そういや、テツクルさんは確か全宅ツイの金主部あたりに入っていたはずですが、この本の出版を機に、ドナルド・トランプと同じく全宅ツイの名誉会員となっていますよね。おめでとうございました。今年の総会ではどんな感じで出てくるのか、今から楽しみにしています。
おわり。