現実は心を映す鏡である
危ないとか危なくないとか、誰が悪いとか、何が無くなったとか、
その時、それを見て、そう思っている心
それはどこから来るのでしょうか。
絶対的なものでしょうか。
条件が変われば正しいと思われていたことが間違っていたことになり、間違っていると思われていたことが正しかったということになり
私たちの価値基準はいつでも相対的であり、条件によってコロコロ変わるものです。
仏教では
「諸行無常」
という言葉(教え)があります。
唯一変わらない絶対の真実、
それは「変化しないものはない」ということです。
私たちはいつでも何かを知った気になり、自分の中の正義を振りかざしては他人を攻撃してしまうものです。
ついついやってしまうんですよね。
だからそれに気づける心が必要なんです。
あ〜😩またやっちゃった〜
って。
また無意識に誰か(自分)を責めてしまった〜って。
そしたら今度は、他の誰かがそれをやっているのを見たとき、寛容になれるんです。そして自分にも優しくなれるんです。
「慈悲の心」は瞬間瞬間に立ち上がっては消えてゆく自分の心の動きに気づくことが出来るようになって育めるものだと思います。
マインドフルネスとコンパッション
これが今の僕のテーマです👨🦲
もう一つ、
仏教には「中道」という言葉があります。
偏らない心。という意味だと僕は思っています。
Everything's gonna be alright.
全てのことは大丈夫。
という大安心の気持ち。
一応、僕の根本にはそれがあると思っているのですが、
それが揺らいで逆に振れる時もあります。
でもそれで良いと思ってます。
そうすれば恐怖と不安に駆られている人の気持ちも分かるからです。
どちらの可能性も極端な方に振ってみて、その真ん中はどこだろう。
そこを感じることが出来た時、何かを攻撃する人、また自分を頑なに守ろうとする人、どちらの気持ちも理解出来るんじゃないでしょうか。
(そしてそれが自分の中にあることにも気づく)
何が本当の正解なんだろうって、ただ一つの正解を探そうとする気持ち。
それが実は不安の正体だったんだって気づくんじゃないでしょうか。
そんなことを思いながら、
また今日も自分や他の誰かを無意識に責めてた自分に気づいて
それを笑い飛ばせるユーモアを養っていきたいですねぇ。