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2024年読書評25 日下圭介 アガサクリスティー

「木に登る犬」
日下圭介
再読
初読の時は傑作だと思ったのですが、今読むとそれほどでもない。
表題作は特に古く感じる。これが、人間の心を描いていて上手だと思うのだけれど、昭和的で、洗練されていないのだ。
昔の日本の小説は泥臭くて、洗練されていなかった。だから当時の多くの人々は翻訳小説を読んだりしていたのだが、この本もそのような印象を受ける。
しかし、よくできてはいる。話としてうまく出来ており、いわばパズルのようにトリックを考えている。だからそのようなドライなものが好きな人は合うかも知れない。

そしてこの作者というか時代は、善人を主人公にせず、悪意のある人間たちが右往左往する話を好むようである。
1970年代にはこのようなフランス映画が多かったので、きっとその影響でしょう。
でも今の時代、特に私には合わないなあ、と思うものです。


「秘密機関」
アガサクリスティー
再読
まあ、面白いと言える。というのも、クリスティの場合、トリックに重点を置きすぎて、ストーリーがつかめないことが多く、ポアロものがそうだったから。この作品は謎解きではなく、冒険ものに重点が置かれている。

物語:
若い男女が第1次大戦の終わりころに出会う。職がなく、探偵のまねごとを始める。ふと耳にした名前ジェーンフィンが、ある面接官に反応させた。この名を探るために新聞広告を出すと政府関係者からの連絡があり、彼らはスパイ事件に関与することになる。
ジェーンフィンは何ものか、どこにいるのか、どうやって見つけるのか、機密文書を狙っている敵の親玉はどこにいるのか、という話。

話自体は分かりやすく、面白いと言えるのだが、しかし、現代から見るとテンポが遅い。
大筋は大したことはないのだが、各章で、少々冗漫になる。

現代ではテンポもよく、非常にうまい作家も出て来ているが、かつての小説というものを私は思い出しました。
昔の作家と言えば芥川龍之介のように、難しい顔をして、苦労して書いていたものでした。松本清張にしろ、作家というのは苦労して書き、難儀し、その結果、読む側としても、あまり面白くない小難しいものを難儀して読むということになっていたのです。
当時は、あまり娯楽がないのでそれが成立していたのです。

現代のスマートな作家たち、アメリカのキングやクーンツもそうかも知れませんが、日本の村上春樹や宮部みゆき、恩田陸など、彼らは確かに苦労して書いてはいるでしょうが、同時にかつての作家にない才能を間違いなく持っています。
これは東大生など高学歴が「努力して勝ち得た」と思い込んでいる才能と似ています。彼らは「努力」のみと勘違いしていますが、実はそうではなく、「霊力」も使っているのです。将棋の渡辺明がそうであったように、「自分は努力して勝ち得たと思っていたが、万人に当てはまるわけではない」と気づいたのと同じです。みんな努力したからといって勝ち得ないのです。
一部の人たちは努力が実益となるのですが、多くは努力が必ずしも反映されないのです。

クリスティは昔の難儀した作家であると同時に、そのような才能を持った人だったと思います。

つまりは、村上春樹にしろキングにしろ、そういう作家たちというのは「穴埋め」が得意です。つまり、どうでもいい文章を構築する才能を持っているということなのです。どうでもいいというと乱暴ですが、ああだこうだ、ああだこうだ、おしゃべりな人がよくもあんなに言葉が出てくるものだというくらいしゃべりますが、それと同じです。文章として頭の中から言葉を出すことが出来る人というのがいるのです。
だから時として彼らの文章は冗漫になるのです。

それがこの作品でも感じられたということなのです。
でも本作はクリスティーの作品の中でも、私は、ですが、面白いと感じられるものです。


ココナラ
姓名判断 2500円

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