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ネガティブ感情が出てきたら、自分を優しさで包んであげよう

ネガティブ感情。怒り、恐怖、恥ずかしさ、悲しみ、罪悪感、失望など、何歳になっても、どんなに人生経験豊富になっても、ネガティブ感情は起きる。

目の前に起きていること、自分が体験したことから感情は生まれてくる。だから、こんなにモヤモヤしたり、落ち込んだりしててしまうのは、外の世界が原因だと思ってしまう。

ネガティブ感情は、本来、人間が危険から身を守り、生存するために身につけたもの。だからとても強い。気づかない間に私たちをすっかりのみこんでしまう。

私たちを守ってくれていたものが、今は自分を苦しめてしまう。

私のヨーガの先生は言う。

「自分は誰かに傷つけられた、嫌な思いをさせられたと思っている。しかし、それは心の動きであって、あなた自身をだれも傷つけることはできない。

心と自分自身が一緒になってしまってるだけ。その感情はただの心の動きである。心は道具のひとつであり、本質ではない。その悲しみや苦しみは心が作り出している。」

そう言われても、相手がいて、自分がつらい思いをしたら、相手のせいにしたくなる。

相手の誤解で、自分をひどく責めてきたら?
むしゃくしゃしている人が、突然、自分にひどいことを言ったら?
自分がしてほしかったことを相手にしてもらえなかったら?

それでも相手を責めてはいけないと、ヨーガでは教えている。
なぜか?

ヨーガにはカルマ(行い、行為)の法則という考え方がある。行いには必ず結果があり、目に見える結果と見えない結果がある。目に見える結果はリアルタイムで経験していること。目に見えない結果は(私たちが知覚できないところに)蓄積されている。

目に見えない結果には2つがあり、良い結果として受け取るプンニャと、嫌な出来事として受け取るパーパというもの。そして生まれる前のカルマによって今生で受け取る結果は決定している。

授業で習ったときは、正直いって、もう決まっている嫌な出来事から逃れられない虚しさと、抵抗できないことにモヤモヤした。

でも、考えてみると、今まで大変なことも経験したけれど、今日こうして生きている。めっちゃ幸福とも、すごく不幸とも言えない人生。

どれがパーパなの!?ってとても気になるけど、この世に生きている人に、良い結果、悪い結果の区別はできない。

インドのお話にこんなものがある。
二人の少年が歩いていた。
一人の少年はおとなしい性格で、信仰心のある家庭で育ち、いつも近所の神社の前を通ると、お参りをしに行くのが習慣だった。

もう一人の少年は、ちょっぴりやんちゃな性格で、お参りにいっている少年を待っている間、道端で石を蹴って遊んでいた。

すると、蹴った石が草むらに飛んで行って、リンっと音がなった。
音がなったところを見にいくと、なんと金貨を一枚見つけた。

今度は神社に続く道から「ギャーっ」という叫び声が聞こえた。
お参りに行った少年が道で蛇に足をかまれたのだ。

金貨を見つけた少年は、蛇に噛まれて血を流している少年にこう言った。
「神社にいっても何の得もない。蛇に噛まれて散々な目にあっている。俺は道で石を蹴って金貨を拾った。俺の方が運がいいじゃないか。」

そこへインドの占星術師が通りがかった。二人の生年月日を聞き、惑星の位置を計算してカルマを調べた。

「蛇に噛まれた少年よ。おまえは信仰心があるおかげで、蛇に足を噛まれただけで済んだ。もし信仰心がない生き方をしていたら、もっと辛い思いをするパーパを受けとっていたのだ。」

「金貨を拾った少年よ。おまえは今回の人生で莫大な財産を得るはずだった。しかし日ごろの乱暴な行いによって、素晴らしいプンニャの恩恵は、たった1枚の金貨になってしまったのだ。」

自分にふりかかるすべてのことは、前の人生の行為に原因があり、今回の人生で結果を経験することで終わる。

知らない間にたくさんの結果を経験して、これからも自覚しないまま結果を消化していく。そしてその結果を経験している段階で、どんな行為をするかが大切になってくる。

嬉しい出来事のときも、がっかりする出来事のときも、目に見える結果に惑わされずに、その瞬間にどんな行為を選択するかが、次の人生に影響していくと考える。

行為とは、行動だけではない。想いも含まれる。

沸き起こるネガティブ感情は、パーパによるものであり、それを見ないふりをしたり、憂さ晴らしでごまかすことをせず、静かに受け止めて理解していくことで調和がうまれる。

どのようなパーパなのかは、もちろん分からない。起きた事象(相手や出来事)でなく、今、嫌な経験をしている自分へ意識を集中させて、しんどい思いを抱いている自分を優しく癒して、しっかり受け止められるようにする。

例えば、強い怒りは、大きなエネルギーなので、自分へ意識を向けることが難しい。だから、普段から自分の心を観察しておくことが大切である。
そうすると、怒りが出てきたときの感じをつかめるようになる。小さな怒りの状態で対処して、大きく爆発させないようにする。

自分で対処するとは、決して我慢することではない。受け止めることが大事なので、気持ちが治まるまで、付き合ってあげるということだ。

ミルクをあげても、オムツを替えても、おもちゃを見せても、抱っこしても大泣きしている赤ちゃんがいたら、ほかにも色々と試しながら、泣き止むまで優しく付きあう。自分にもそんな優しさを向けるのである。

心理学者は、ノートに書きなぐる、壊してもよい茶碗を思いっきり割る、セラピーに聞いてもらう等、とにかく人に迷惑をかけない方法で発散させたほうがいいとアドバイスしている。

人は心に想い癖を持っているもので、幼いころ自分を守らないとならない場面で、その感情を使って守っていたということがある。

だから、ストレスを感じると、もともと内側にある想い癖が出やすくなる。

パーパは嫌な思いをするという結果を受け取るので、心の想い癖がでてきてしまい、なかなか冷静に自分をみるのが難しい。

つまり、パーパによってストレスを感じた時、まず沸き起こる感情は、幼い時に自力で解決できないことから、自分を守ろうとしていた防護服のようなものである。

防護服を脱いで、その労をねぎらってあげよう。そして、身を守るものがなくなった自分を、こんどは優しさで包んであげよう。

プンニャでも、パーパでも、自分を優しく包んであげることは、調和へとつながっているのだ。

感情に対して「なにもしない」という選択肢ではなく、自分を優しさで癒すことを選ぶようにする。自分を整えることは、周囲へ調和を生み出し、調和の行為はプンニャを生む。

プンニャはパーパを中和するとヨーガでは言われている。

どんな結果を体験しても、生活の中で自分のすべきことをしていく。そして自分を自分で癒す。その行為は、必ず周囲に調和をもたらす。

運がよくなりたい!ほとんどの人がそうだろう。占いをみたり、開運インテリアをしたり、ラッキーカラーで色を選んだりする。私も四柱推命や星占いが好きだし、ラッキーな出来事が起こってほしい。

私たちは幸せになりたいと思っているし、そのために日々一生懸命に生きている。今回の人生で、どれだけのプンニャを受け取れるかはもう決まっているとしても、二人の少年のように、もし今の生き方でそれが変化してくなら、希望はありそうだ。

自分を優しく、優しく癒して、自分の機嫌を自分でとってあげるだけ。それは自分と周りの幸せにつながっている。

我慢して、疲れて、自分らしくいられないで悩んでいる人を、自分を癒す方法を一緒に色々試して、心も体も軽やかに、のびのびと毎日を過ごせるようにすること、それが私のやりたいこと。

みなさんに 幸運を。
では、また明日。

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