食べたくない、は身体の声
胃腸から体調をくずしていました
食べたくない、は身体の声。
胃腸がかたくなってうごかない!胃がちぢむと心もちぢむ。いや、心が先か、体があとか。
『消化』にこそ、ふだんエネルギーを奪われてることを実感。寝てる間も内臓は休みなしで働くのだから!
夜ご飯のあとの甘いもの、つぎはしょっぱいもの。そして甘いもの(エンドレスおやつ)
胃腸もたまには定時であがらせてくれ、てハナシ!
今回オフィシャルに(ここでは意識の上で)有休もらったわたしの胃腸くん。食べない期間は過剰なものがデトックスされた感覚。
若葉の頃は心身もゆらぎがち。白湯でやりすごし2日を抜いての肉体労働も、とくに倒れることもなく。エネルギーは好きな人たちとの交流で回せてた感覚。
お腹にスペースができたら回復食。アーユルヴェーダのお粥、キチュリがたまらなく沁みました。
食べるほどに、ナケナシだった食欲が湧き上がってくる!
まさにじぶん復活祭
消化のよさナンバーワンなお米ことバスマティと、豆のお粥。日本の白粥とちがい、豆の高タンパク、鉄分もいっしょにとれます。
スパイスはその時食べたいもの、食べられるものを気分で合わせてます。
欠かさないのが、副腎によいターメリック、食欲をかきたてるヒングと温泉臭のヒマラヤ塩。
パワーが腹の底から立ち上がる!!
玉ねぎを炒める元気があれば、テンパリングして、あまってる野菜もくわえて。ふだん躊躇しがちなギーもここぞとたっぷり加えて♡
つやつや自分の生まれ変わり〜♡
数日キチュリでもまったく飽きないんだ。
ちなみにアーユルヴェーダでは、さぁやるぞ!的前向きな『断食』おすすめしません。
あくまで、胃腸が弱っているとき、胃腸を休ませる、が目的。
健康な人の空腹はかえってピッタもヴァータを乱します。(消化の炎を消さないため)
アーユルヴェーダにきょくたんな頑張りは不要。それより毎食の腹6分目をキープすること。
アーユルヴェーダの食事法は、ゆるい。?
禁止事項不在。自分次第。すなわちある意味キビしい。気軽さと高尚さがありますよね。
〇〇抜き、〇〇を主食に!て言われるほうが動物的に分別はつきやすい。
しかしアーユルヴェーダてふんわりなんですよ。
腹6分目ですよ、匂いのするゲップが出てるうちは次の食事は入れませんよ、自然界にあるもので調理しましょうね〜さて電子レンジはどうですか??
あくまで本人にファイナルアンサーさせる。
ルールでなく叡智。本人の美意識にフォローさせる哲学だと私は思う。だからアーユルヴェーダに惹かれつづけ、飽くことなく体現をしたくなるのだとおもう。
体感は、シェアできない自分ごと
本来、ひとり一体所有のこのカラダのことなんて、自分以外知り得ないこと。
お医者さんさえあなたの『痛みや違和感』を本当の意味で共感はできない。
だからアーユルヴェーダって依存せずにできる自分との信頼関係なのだと私は思います。注意深く、見てあげる。
経験を重ねて、直感を育て、症状の出る手前の違和感から休ませて『病気』にしない。
自分のことをひとまかせにしない。
「だって仕事が、だって家族が、だって時間が」理由などツラツラと出てくるほど現代に生きることはラクじゃない。
しかし見て見ぬふりした不摂生が見える化したもの=ビョーキになって支払う代償は大きいはず。守りたかった仕事、家族との時間どころでない利子がついてまわる世知辛さかもしれない。
なーんて未来の怪談話よりも!
なによりシンプルに、疲れたら休もう、てハナシ。
周りにはやさしく言えても自分に許可だすことって後回しになってるんじゃないかな。(長らくわたしがそうでした)
休むことに、本来理由は要らない。
自然がお手本のアーユルヴェーダ。猫犬、子供、本能で生きてる”先生”たちをみてればわかる。
“欠席理由”なんてオフィシャルな場への思いやり。本心まで犠牲にしなくて大丈夫。疲れたから休みます!以上。
回復してからのいいパフォーマンスで、お役目果たして生きましょう♡