西目線で夢を見る、妄想中華
令和の鎖国時期、わたしが夢みたのは家からほど近い中華街の散策だった。
不穏なダイヤモンドプリンセスが停泊する2020年のバレンタインの夜、行列どころか誰もいない赤レンガのbillsで過ごしたのは思い出だったけど。
県境を越えない、とか店のアルコール禁止とか謎ルールたちと、同じ世界線において、旅行だけは支援してくれたのでいいホテル滞在も楽しんだ。
仕事も自動的に休みになった。
不思議な時代だった。
この先、わたしが忌まわしきこの疫病騒動を語るならば、バブルを語りたがる上の世代よろしく懐古と自慢にならないよう注意が必要だ、てくらい
しかしながら海外渡航だけはあきらめる覚悟があった。コスト問題と注射嫌いが仇となった。
そんな中、足繁く通ったのが中華街だった。表通りの高級店は軒並み閉鎖されていたが、一歩路地に入るとひっそりと開けてる店があった。
旅に飢えた私は異国情緒、というか、日常においての異質を求めた。
エネルギッシュに我関せずな彼らの生活や言葉、文化、近くて遠い、違うものに憧れた。
10年前、アーユルヴェーダを生涯学習に、と決めてインドの村の町医者に突然住み始めたとき、それがじぶんにとっての自然だったような、あんな旅をまたできるのだろうか、いまでもその熱はわたしの身体に呼び戻せるのか
深刻ではなくても思うところがあった疑問を、埋めるように大国の文化や歴史、地方の食べ物を知ることは娯楽で知的好奇心を満たした。
でもそれは、いまおもうと、その大国そのものはまだ未知で。
わたしが焦がれたのは、旅先の先にあるアジアの記憶だった。
シカゴでのバイヤー時代、KFCとマックしかない国道の街の赤い提灯のオアシス、ボックスヌードルのテイクアウトだったり。
ザルツブルクの祝日の夜、絶望的にどこも閉まる真夜中に灯るチャイニーズレストランだったり。
メルボルンの移民街で突然の獅子舞や爆竹の匂いに、春節の存在を知ったり。ダンプリング(餃子)の店に地元キッズとどきどきしながらトラムを降りたアジア街のヤクザなネオンだったり。
当時のボーイフレンドの父親がコレクションする魅惑の壺や圧巻の扇子、どこかちぐはぐな骨董品の煌めきだったり。
西目線の、東への憧れにどきどきする。
彼らのどこか偏見まじりのミステリアスな妄想。そんな目で見ていること知ってるんだから、と自覚あるアイデンティティこと自分と。
その”偏見×クールをこじらせた憧れ”を表現したくて、ポップアップランチをやってみます2023春。
今回は『メルボルンはブランズウィックにある架空のヌードルショップ』をテーマにオーガニックかつエッヂの効いた冷やし中華です。東を夢見る西目線の一皿に仕上がっている自家製コンブチャと甘辛塩渋苦の5つの味
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アーユルヴェーダからなぜ、疫病を経てチャイニーズヌードルなのか。
わたしなかで、旬、なんです。勢いがある。中華へのまだ見ぬ地へのあこがれ。
よかったら、遊びに来てください。
KJとともにお店に立ちます。