看取り・看取られ・死に・死なれ
ディープインパクトの死が報じられ、今週は同産駒の競走馬が次々と勝利し、追悼に相応しい2日間だった中央競馬。その中で「安楽死」に関しての賛否が一時期話題となっていました。
それに対して思うことがあり、書くことにしました。
掲載した写真は「運命の輪」と呼ばれるタロットカード。
直訳すれば「車輪」となるので諸説ありますが、私の感覚ではこの糸車が合います。くるくると回る糸車は輪廻・運命を表し、そこに巻き付けられた糸は寿命。
その糸を手繰り、切る指が描かれている。
糸が切れた時はすなわち、死を意味します。
日本は法律上人間への安楽死を選択できません。
私が経験した事を踏まえて行きついた、死生観。
サブタイトルをつけるなら
経済動物と思いながらもそこには確かに愛があった。
センシティビティな内容も含まれるため、有料で線を引きます。
あなたがもし、同じ状況なら。
「残酷」の定義とは。
私が夫の存在を知ったのは17歳。高校3年の春。
夫は10歳上で、姉の同級生だった。
その時は恋愛感情もなく、手伝いに駆り出された母のスナックの常連で、カウンター越しに話をするくらいの関係。お互い別に付き合ってる人がいた。
それでも
お互い「多分この人と結婚する」と思っていたのはあとから知ったことだった。
理由はない。
でも感覚がそう言っていた。
そんな中、偶然にも同じ時期に相手に振られ、どうしようもない虚無感を吐露した時
「今度2人で会わない?」
これがきっかけで付き合うことになった。19歳の5月。
そして結婚を決め、子供を作った。
私は夫が喜んでくれる姿を見ることや、愛される実感と、優しくされることが嬉しかった。
私も愛を捧げる相手がいることに喜びを感じていた。
家族で海水浴に行き、砂だらけになりながら子供と遊んだり。
子供の急病で徹夜で看病したり。
喧嘩もあったが、人生の荒波を家族という船で乗り越えながら。
幸せだった。
これがずっと続くと思っていた。
ただ
人間と言うのは、恐ろしく変わってしまう生き物だ。
小さな偶然やすれ違いが、潮が満ちるように積み重なって
幸せの砂の塔はホロホロと崩れていった。
私には、車の扱いと聴く音楽が変わる時、男には違う女ができるという持論がある。
結婚して7年目のことだった。
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読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。