駅で男は目覚めた―
駅で男は目覚めた。正確には、目覚め損ねた。目覚め損ねるという過ちを犯すことを、これほど正確にしてのけることは、未だかつて男の目覚めに際して起こり得なかったことである。おそらくは夢の中でさえ、男がこれほどまでに目覚め損ねることはなかった。男はうーんうーん、と唸り声を上げるが、それは欠伸でも、起き抜けに気道を開こうとする試みでも、声帯の自発的な準備作業でもない。男の精神は確かに目覚めに向かっていたのだが、男の身体は正反対に眠りへと落ち込もうとしていた。男は精神と身体に引き摺られるままに、目覚めと眠りの間で引き裂かれていた。男は2つの側に引き裂かれていたが、眠りと目覚めの往復運動の繰り返しに伴い、頻度と個数でいえば2つ以上に引き裂かれていた。男は、男が2度以上引き裂かれていることはわかっており、それゆえに男が1つではなく2つ以上の断片に分けられていることを数え上げることはできていたが、それは男が引き裂かれていることを認識していたからにすぎず、男が果たして幾度引き裂かれ、幾つの断片と化してしまっているのかは数えられずにいた。だが、未だ男は男が断片であることを認識する程度には、男としての総体を維持し、再度の統合を希求することへの欲望を捨てずにいた。男の精神と身体は、「あちら」と「こちら」に引き裂かれていたが、「あちら」の男の断片にとっては「あちら」といってもそれは「こちら」であり、むしろ「こちら」の断片のほうが「あちら」にとっては「あちら」の断片であった。それは取りも直さず「こちら」の男の断片にとっては「こちら」が「こちら」であることを意味したまま、「あちら」の男の断片にとっては「こちら」も「あちら」であることを意味することを否定しなかった。ゆえに男の統合への欲望は、果たして「あちら」へと赴くのか、それとも「こちら」へと戻るのか、どちらの方向性も与えられずに、留保されていた。男は「あちら」と「こちら」のどちらに優位性――統合の主導権、主たる位置を占めるか――を与えるのかを決めかねる故に、方向性の賦与を留保していたというよりは、Aの断片がBの断片に統合されようと、Bに向かって集合しようと移動する際、まさにその同時期にBの断片がAの断片に統合されようと、Aに向かって移動するすれ違いを危惧するがゆえに、移動のきっかけとなる何らの意思表示も顕せずにいた。男は夢の中にいるがゆえに、現実に対してなにもできない夢の中の自分を見つけ、同時に現実の中にいるがゆえに、夢の中のように何もかもが出来るわけではない現実の中の自分を見つけた。夢中になれることが現実にありはしなかった。現実に夢のような時間を生きることもできはしなかった。男は蛹になる前に死ぬ芋虫の見る夢ですらなかった。男は空を飛ぶのではなくただ落下していく夢の見る現実でもなかった。男は目覚め損ねた。正確なのはそれだけである。