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亡くなった時の決断

ぎんちゃんが使っていたものを少しずつかたづけています

痕跡を見つけては泣けてくるけど

たくさん泣くのは良いことだな〜とも感じている

金八先生も涙枯れるまで泣く方がいいって言ってるしね

※ネコが亡くなった時の表現があります。
辛く感じる方は読む際にご注意ください


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前振り的なことがまた長くなってしまいました。

すみません〜!

明けても暮れても泣いて泣いて泣いて

何もしてなくても勝手に涙が流れまくるという状態だったのだけど

でもその悲しみは、純粋にいなくなったことが悲しいというよりは

何もできなかった自分を責めるという気持ちの割合が大きかったのは、泣きながら自覚していた


ぎんちゃんが立てなくなった時、

病院に運びながら、もう無理かもと思った瞬間

頭の中には

もし何かあったら
解剖してもらおうか……

という考えがよぎっていた


今の状態では
原因を知りたい=解剖しかないってことはわかっていたので

原因を知りたいと強く思うということは、つまりそういうこと

でも、さすがの私も
ぎんちゃんにこれ以上痛い思いをさせたくないという抵抗があった。

だから、原因を知りたい気持ちと
これ以上傷つけたくない気持ちが同じくらいの重さであって

でも、決断するならすぐ決めないと
遺体は傷んでしまうから長くは悩めない

ただただ悲しみに沈もうとする自分を
現実的な思考が繋ぎ止めていた

亡くなったのは夕方の5時

大学に依頼の連絡をするならば
もう本当に時間がなかった

一瞬の逡巡の後
夫に大学に連絡してもらうように頼んだ。

亡くなってさらに痛めつけるようなことになるかもしれない


私のエゴのために
本当に申し訳ない。
最後の最後まで、ごめん!
と謝りまくって
解剖の依頼をしてもらった。

悩んだのは一瞬だったけど
ものすごい量の思考が頭を駆け巡った

もう魂は肉体を離れてるから痛みは感じないよ
とか
原因を知りたいのはエゴなのか
とか
あぁ、私、自分が責任を背負うのが嫌なんだな
とか
死してなお痛めつけようとしている罪悪感
とか

最後は、私自身の中にある
原因を知りたいっていう声を無視するの?どうするの?
無視して後悔しない?
という自問自答だった

そして
原因を知りたい気持ちを優先した
ごめんねごめんねと何度も謝りながら

傷まないように保冷剤でガンガン冷やすから
まだ暖かかった体は
あっという間にカチコチになっていった

そして、翌日
最後のお別れをして
夫が片道2時間の道のりを運んで行った

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Yoshiko〜ゲシュタルト的生き方のススメ
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