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自分と対話する、関係性と折り合っていく

令和6年9月7日

皆さんお元気ですか?

土曜日が来ましたよ。

お休みの方、お仕事がある方、
地域のイベントに駆り出される方。
たくさんの形の土曜日があると思います。

きっと、
いつもの平日よりも少しだけワクワクするような土曜日かもしれません。
ちょっと違うということを愛せるような土曜日になると面白くなりそうですよ。





さて、

保健師という仕事はたくさんのストレスに遭う仕事でして。

分かりやすいのが精神的な、感情にダメージが来るようなストレスだと思います。

自分の感情を押し込めて、住民や要支援者、対外的な組織との連携をしていきます。
対人的な業務だからこそ、
そこには自分の感情を相手に左右されるような環境が生まれてしまいます。

そういう仕事を「感情労働」と言います。

「楽しさ」や「うれしさ」といった感情を表に出すことを求められる、あるいは「怒り」や「悲しさ」といった感情を抑制する必要があるなど、適切または不適切な感情が定められている業務を「感情労働(emotional labor)」と呼ぶ。身体を使って報酬を得る肉体労働、頭脳を使って報酬を得る頭脳労働に対して、感情労働の従事者は感情を抑えることで報酬を得る。感情労働は特に顧客とのコミュニケーションにおいて大きな役割を担うものであるが、精神と感情の協調が求められるため、精神的な負担や重圧は極めて大きい。

記事より

人間との対話というのは、
どうしてもそこに精神的な、感情的な反応が生まれてしまいます。

これが言葉を交換するだけであれば、
例えば、事務的な手続きだけであれば問題ないんですよ。


しかし、
実際は対話をする相手には感情があり、想いがあり、悲嘆があり、苦しみがあります。
相手は事務的な話だったとしても、相手にはノンバーバル的に伝わることがあります。

特に対人的な専門職としては、
ノンバーバルの動きからも相手の感情を感じ取ってしまいます。

それが、
直接的な不安や苦痛への傾聴になるとより受け取る苦しさが増えてしまいます。
仕事として受け取って処理をしていても、感情的なストレスが残っていくとしんどくなってきます。

しかも、
それが住民とか要支援者とか、自分が支援する側への対話であればまだ納得できるのですが、これが職場環境の中では逃げ場がなくなってしまいます。
誰に相談をすればいいのか、この気持ちを処理するにはどうすればいいのか。

いつの間にか仕事の中では感情が処理しきれなくなって、プライベートにも影響が出てくるようになります。
仕事とプライベートを分けて、プライベートは充実したものにしたいのに。
それでも、なんだかプライベートの時まで、仕事で処理しきれなった感情が攻め込んできます。

むむむ…
それはしんどい…





さて、
しんどいです。
じゃあ保健師としてどうやってその感情労働と付き合っていくかとしますと、

例えば、
「感情に名前をつけてみる」ってのはいいもんです。

こちらの本が参考になるのでぜひ。

パーツワークと言いますが、
自分の感情、感覚に名前を付けて、それを認識する作業です。

自分を過去までさかのぼって、自分の感情を思い出す作業とセットですので難しいのですが。
自分がストレス過多で悩んでいる時に、自分のままならない感情を整理するのに使えます。

感情に名前がついてくるとコントロールする目途が立ってきます。

パニックちゃんとか
嫉妬ちゃんとか
主張ちゃんとか
警戒ちゃんとか
世話疲れちゃんとか
どうせちゃんとか
自罰ちゃんとか

そういう感情と向き合って内省をしていくと、自分がどういう時にそういう感情に遭うのかとか、出てきた感情とどう付き合っていくかとか、どう活かしていくかを検討できるようになります。

ただ、
この作業はめちゃくちゃ難しくてですね…

「自分の感情に気づく」とか「自分の曖昧な感情を認識して分類して個別化する」という作業が必要でして。
こういうのは専門の心理士に頼んでカウンセリングをしてもらうのが良かったりします。

自分で処理できる限界の時に、自己責任で解決するのはしんどいです。
無理しないでください。
そういう時こそ専門職に頼みましょう。
こういう時の専門職は精神科や心理士だったりします。





例えば、

「日記を書く」ってのもいいんだと思うんです。

さめざめは看護師時代、大変に看護師環境がしんどくてですね。
職場環境もしんどいし、新卒からの学びのしんどさとか、なんだかもう限界でした。
身体的にも精神的にもしんどかったように感じます。

このnoteにも書いていますが、そりゃあしんどくてですね。
看護師を辞めてしまいました。

今となっては、あの時どうすれば上手くいったんだろうかとか考えるようになりましたが、
その当時は精神的なしんどさが強くて、その場から逃げることが精一杯でした。

でね、

看護師の終わりの頃に始めたのが「日記を書く」でした。

とりとめのない自分の感情を、
あいまいで言葉にできない感情を、
そういうものを整理するために文字にしていきました。

その時はどうやっていいのかわからなかったので、とりあえず手帳を買って、そこに毎日記録をしていきました。
買ったのはほぼ日手帳だったはずです。

1日1ページの手帳に記録をしていきまして、その手帳に書く時間を必ず取るようにしていきました。
自分の1日の感情の動きやそれに付随する出来事を記載していって、感情の整理を行っていきました。

日記なんてさ、だいたい続いても1週間程度なもんです。
だんだんとやる気が出なくなってきて辞めてしまうもんです。

ただ、
その時は心の動きが大きくてですね。
自分の感情の動きを分析しながら記載していくとあっという間に1ページ終わってしまいます。
なんだったら1ページじゃ足りなくてページを追加して記載していました。
自分を理解するための記録というのが、どんどん増えていきました。

そうするとですね、
なんだかいつの間にか心の整理がつきまして、仕事に向き合えるような心持になってきたんです。

実際、看護師の頃の精神的なダメージを自分で消化できるようになったのが3年後くらいでしょうか。
そこまでは毎日の日記と内省を続けていました。

最近はほぼ日手帳は日常のメモ程度に活用し、それでも必ずバックに忍ばせていつでも出せるようにしています。
今はタイピングの方が早くなってしまったので、Evernoteを使ってどんどん記録を入れています。
自分の内省ということで、しんどい時にはEvernoteに5時間向き合うという時もあります。

僕はあまり人間をやっていくのが上手くないので悩みも多いのですが、なんとかここまで生きてこられたのは日記をきっかけにした「内省」によるものだと感じています。

この本とかは仕事に向き合うための内省の技術だったりします。
自分に向き合う時間を作るというのは長期的な人生の投資になります。
向き合っていきましょうよ。



いろんな対処方法がありますが、
それでも感情労働というのはしんどいもんです。

保健師という仕事をする中では必ずと言っていいほど出会ってしまうストレスになります。

だけど、
上手く付き合うことが出来たら、いい感じの保健師になっていくんじゃないかと思うんです。

良い感じにしていきましょうよ。

僕もがんばります。

一緒にやっていきましょう。

そうしましょう。





たくさんの関係性の中で僕たちは生きています。
きっと完全に一人だったなら苦しさも悔しさも何も感じなかったんでしょう。

それでも、
僕達は関係性の中で生きていくんです。
だって人間だからさ。

たくさんの感情の中に生きることに、喜びを持っていきましょうよ。
そうしましょう。
それはきっと美しいものですよ。

そういう曲です。

サカナクション「エンドレス」


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