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ひとりで生きていたならば

令和6年9月16日

皆さんお元気ですか?

さめざめ、
最近聞き続けている曲があります。

SUPER BEAVERの「ひとりで生きていたならば」という曲です。

これ、
保健師や介護職、福祉職等の、人と繋がっていく人たちに刺さる曲なんじゃないかと思うんです。

ぐっと心に刺さってきます。

こんなに心に刺さる曲があるんでしょうか。


なんで刺さるんでしょうか。

歌詞を分析していきましょう。

やるぞ。







過去と向きあう

生きることは 難しくて
何となくじゃ 居られないよ
こだわること やめてしまえば
過去が嘘に変わる

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」歌詞より

今の現状というのは、とても不確定なものでして。
「今のまま生きていっていいものだろうか?」と悩むものです。

その衝動的な気持ちを持ってして、新しい環境に飛び込む方というのがいます。
起業とか開業とか転職とか。
そういう新しい動きをしていく気持ちはわかります。
分かりすぎる。
だってさめざめも起業したし。

しかし、
これまでの人生が間違いかと言ったらそうとも言い切れないのかもしれません。

自分を構成するものは過去の出来事と関係性、現在の環境が関わってきます。
これまでの自分を構成してきたものが全て悪であれば、そこから抜け出すべきなのは間違いない。
しかし、今の自分を構成する要素というのは、原体験に繋がるようなものかもしれません。

自分の過去を全て捨て去るというのは、過去を全て否定するものになってしまいます。
もしかしたら、それは少し寂しいものかもしれません。

「自分を構成してくれた過去」というものを大事にしていくのもあってもいいのかもしれません。

あれですよ。
自分の人生はそこまで長くないかもしれないんですよ。

いつかはみんな死にます。
間違いない。

だからこそ、今の段階で過去を全部捨てるのはもったいない。
これまでの過去を糧にして、複利にして利益を出していく方がいいです。
その方が、「過去」も喜びます。




愚痴と、理不尽と向きあう

悔しくて 哀しくて 虚しくて 苛立つ夜は
それでも 愚痴では 明けやしない 理不尽でも

悔しくて 哀しくて 虚しくて 苛立つだけで
終わらせることが 何より 悔しいよな

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」歌詞より

どうしようもない日があります。
心が落ち着かない夜があります。

わかる。
さめざめにもそんな日はあります。

愚痴も言いたくなるし、
誰かに聞いてもらいたくなります。
SNSに悪口を書きたくなるし、
誰かを攻撃したくなります。

わかる。

それでもさ、
愚痴を言ったってなんともならんのですよ。

どんなに愚痴を言っても、相手を変えることはできません。
言葉で、態度で相手を攻撃しても、相手の本質を変えることはできない。
状況の本質を変えることはできません。

理不尽だとは思いますが、
自分がコントロールできる範囲を認識しなきゃいけない。

こんな記事を書いていました。

どうやってもコントロールできないものはあります。

そのコントロールできないことに、
悔しくて 哀しくて 虚しくて 苛立つ、
そんなのは悲しいんです。

それだけで終わらせてしまうのはとても悔しいものだと思います。

嬉しくて 嬉しくて 嬉しくて 嬉しい朝を
望むなら 愚痴は 飲み込んで 真っ直ぐに居よう

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」歌詞より

辛い夜を乗り越えてさ、
良い朝を迎えたいもんです。

そんな朝を望むのならコントロールできない愚痴というものに囚われちゃいけません。
まっすぐに生きていければ、それは良い夜明けに繋がるのかもしれないんですよ。

コントロールできるのは自分だけなんですよ。
自分の意思でコントロールできるのは自分だけなんです。

愚痴を言わずに、自分と向き合っていく。

それが大切なのかもしれません。


それでもしんどい時があります。

自分自身を 諦めそうなときに
思い浮かぶ 人と 想いと記憶と ともに

心の底から笑い合うんだ
それだけ 譲らずに こだわっていくよ

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」歌詞より

人生を諦めたくなる時があります。

しんどいよね。
辛いよね。

それでも、そのしんどい過去の中には、「誰か」がいるんですよ。
「過去の誰か」には、自分の支えになるような人がいると思うんです。

その「支えになる誰か」と笑いあっていければいいんですよ。
しんどい関係性の中で、「支えになる誰か」がいればなんとかやっていける。

過去をうまく使えないとき、うまく活用できないとき。
新しく進むためには「過去の誰か」が鍵になってきそうです。

専門職の僕たちは、しんどい人のための「過去の誰か」にならなきゃいけないんです。
思い出してもらって、辛い時に連絡ができるような。
そんな専門職になりたいものです。
誰かの「過去」の一部になりたいものです。




ひとりじゃなかったからこそ

たった
ひとりで生きていたならば
こんな気持ちにならなかった

ひとりで生きていたならば
理不尽も許せたかもな

ひとりで生きていたならば
ひとりで生きていないから
悔しさ込み上げるほどの
「大切」に出会えたんじゃないか

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」歌詞より

アドラー心理学では
「悩みをゼロにするには、宇宙でたった一人きりになるしかない。」
と言われています。

人間が持つ全ての悩みは「対人関係」から生まれています。
間違いない。

でも、
その関係性の中でしか、人は喜びが見出せなくてですね。

1人で孤独に写真を撮る人も、写真を見せる人がいるから成り立つもので。
山でたった一人で暮らす人も死ぬときには何かしらが関わるもので。
宇宙にいる人も、帰る場所があるから頑張れるわけで。

人間は関係性の生き物であり、
精神疾患も認知症も発達障害も知的障害も、関わる人からの評価があるから病気があるようなもんです。

関係性というのは、喜びも苦しみも、たくさんの物を生み出していきます。

対人関係は人間が生きていくための基本的なものであり、本人における社会というものが断絶されていたとしても、小さいなりに関係性の社会は存在するもんです。

良くも悪くもね。

逆を言うと、
ひとりで生きていたならば、
孤独で生きていたならばこんな感覚にはならなかったはずです。

宇宙で、他の人間や生き物を見ずに、機械的に生きていいたのならば、そこに感情は生まれないのかもしれません。

ひとりで生きていないからこそ、
今の大切な感覚に出会えたのかもしれません。

保健師の皆様はこの感覚がわかるんじゃないかと思います。

「誰かと繋がる」ということの大切さというのは、悲しみを減らし、喜びを増やしていくことに繋がっていきます。
「ひとりにしない」ということが誰かを良くしていくことに繋がります。

「ひとり」の人を「ひとりで生きていない」状態にしていくこと。
それが専門職的な介入であり、「ひとり」の個人を幸せにしていくものなのかもしれません。

ひとりで生きていたならば
ひとりで生きていないから
予想を遥か超えていく 嬉しさを知っているのさ

~~~~

今一度 言い切るよ
原動力はずっと
ひとりで生きていないこと

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」歌詞より

ひとりで生きていないから、
僕達は喜びに出会えるんです。
それはひとりだけでは得られないんですよ。

「ひとりで生きていないこと」
それが、大切なんだと思います。

繋がりを作っていきましょうよ。

自分で繋がりを作っていくのは大変かもしれませんが。
それでも、「ひとり」はしんどいんですよ。

生きていってくれよ。

頼むから。

「ひとり」はしんどいぞ。

しんどくてどうしようもない時は保健師にでも会ってみてください。

いいきっかけがもらえるかもしれません。







良い曲なんですよ。
心に刺さる良い曲です。

もう一度聞いてみてくださいよ。

SUPER BEAVER「ひとりで生きていたならば」




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