長崎へ祈りが届きますように
76年前、長崎では水を求めながら、たくさんの方が亡くなりました。
それは「あなた」だったかもしれません
生まれた時代、場所が違っただけで
おばあちゃんは、
爆心地から3キロの自宅で被爆して、
たまたま裏山が、熱線を遮ってくれ助かりましたが。
叔父さんをさがしに、爆心地近くに行きました。
男も女もわかったもんじゃないよ 黒焦げだから
生き残った人は水をくださいって言う
でも絶対に水を飲ませちゃいかん!と言われて
どうせ死ぬなら、飲ませてあげればよかった
とても悔やんでいました。
原爆が投下された晩、
垂れた電線から、ぽっぽっと火花があがり
長崎は火の海になったそうです。
長崎は終わったと思った
幼い私に、
おばあちゃんは絵を書いて、原爆やB29爆撃機のおっとろしさ(おそろしさ)を話してくれました。
長崎や広島は平和学習がありますが、
ほとんどない土地で育ったので、おばあちゃんがいなかったら、知らないままだったはずです。
いま日本が平和なのは、
太平洋戦争で亡くなった、たくさんの方々の犠牲があって、こんにちにいたります。
今も海に眠る英霊たち、原爆で亡くなった方も、まだまだ、そこに眠っていらっしゃいます。
しーらない?
関係ないもん?
昔のことでしょ?
うまれた時代、場所が違っただけ
「あなた」だったかもしれません
いつか忘れられる時は、やはり来るでしょう。
それでも、ひとりでも、冥福を祈ってくださる方がいますよう、願わずにいられません🙇♀️
黙祷🤲
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こやつめにお駄賃をやろう、なんて考えた奇特な方は。そのお駄賃またnoteの中で循環させていただきますぞ🍀