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科学の眼鏡で世界を見れば

朝、目が覚める。時計を見ると午前11時。少し寝過ぎた気がするが、今日は特に予定のない日なので問題ない。

ずっと目を閉じていたので部屋の明かりが眩しい。しかし、次第に目が慣れていく。これがいわゆる「明順応」という現象だ。作用する視細胞が桿体から錐体へとシフトしていく。頑張れ、俺の可愛い錐体ちゃん。

昨日は夜ごはんの時間が早かったのでとてもお腹が減っている。自分の数少ないレパートリーの中からすぐに食べられるような昼ごはんを考える。

パスタにしよう。

ガスコンロに火をつけ、早速お湯を沸かす。家庭のガスコンロから出る火の温度は約1800℃。そして水の比熱が4.2J/g•Kであり、鍋にいれた水は2000gであるから・・・

沸騰に必要な熱を求めている間にお湯が沸いた。塩を入れたことによる沸点上昇を考えはじめたのが悪かった。

鍋からは水蒸気がモクモクと出ている。いや、目に見えている湯気は正確に言えば「水蒸気」ではない。気体である水蒸気は無色透明であり目に見えないからだ。だからこれは気体が空気中で再び冷やされてできた細かい水滴である。雲ができるプロセスと同じだ。

流体シミュレーションの動画を見ているようで、なんだか湯気が可愛く見える。無論、これはまだ自分が少し寝ぼけているからだろう。さすがに年がら年中、湯気が可愛く見えるわけではない。

さぁ、もたもたしてないでパスタを茹でよう。麺を取り出し、鍋の上でポキポキ折る。何も遊んでいるわけではない。これは自分なりの占いなのだ。パスタの麺というのは、真ん中で折ろうとしても2本にわかれることはほとんどない。どうしても3本以上になってしまう。実はこれは2006年のイグ・ノーベル物理学賞で解明された現象である。

2本に折れたらその日の運勢は「超最高」。それ以外は「最高」と自分で決めている。これが『ポジティブ馬鹿の占い』である。

今日はどうしても2本に折れないので諦めて麺にひねりを加える(実はそうすると2本に折れるのだ)。よし、今日の運勢は「超最高」だ。

さて、色々と考えなければならないことが山積みである。実は自分の場合、実働時間よりも何かを考える時間が非常に長い。例えばコラボ撮影の企画内容であったり、新しい授業の構成を考えたりする時間だ。

こういうとき、決まって自分は散歩をする。歩きながら考える方が思考が整理される気がするのだ。財布は持たない。スマホと限度額近くまでお金の入ったスイカを持って家を出る(もちろん果物のスイカではない。あんな重いものを持ち歩きたくない)。

家の近くのゴミ捨て場にはカラスがいた。あまり知られていないが、野生で見かけるカラスには2種類いる。これはハシブトガラスの方だ。澄んだ声でカーカー鳴いている(もう一種はハシボソガラスといい、濁った声でガーガー鳴く)。よく見ると可愛い顔をしているのだこいつらは。

駅まで行き、普段はあまり降りない駅で降りる。今日はここから適当に散歩をする。こんなことをする理由は、自分は今まで見たことのない景色や物に触れるのが好きだからだ

この地域では紅葉が少し始まりかけているらしい。木々を見ると少し黄色がかっているのがわかる。これはクロロフィル(緑)の分解が始まっているということだ。そして同じく葉に含まれるカロチノイド(黄)が相対的に目立ってきているのだ。

紅葉というのは木が効率よく生き残るために必要なプロセスなのだ。木に付いた葉は、冬になると太陽光を十分に吸収できなくなるため役立たずとなる。そこで自ら死を選ぶ。木全体としての繁栄のために。その際ただ死ぬのではなく、自分が持っているクロロフィルという栄養を木に送るのである。それが紅葉だ。まるで遺産付きの遺言じゃないか。そんな目で葉を見つめる。

喫茶店などに寄り道していたらすっかり夜になってしまった。考え事も色々まとまったので家に帰ることにしよう。空を見上げてみる。別にロマンチストなわけでなはいが、星を見るのは好きだ。星の正体は太陽と同じ、自ら光輝く「恒星」である。実はそれらは地球からとても離れた位置にあるのだ。

一番近い星(ケンタウルス座のアルファ恒星系)でも地球から4.3光年の位置にある。つまり、1秒で地球を7周半もする光が4年以上かけないとやってこれないぐらい遠くにあるのだ。これは、目で見る星というのはその星の「過去」ということを意味する。もし地球からその星を見ていて、突然爆発したとしても実はそれは4年以上も前のことなのである。そんなことを考えながら歩く夜道は中々楽しいものだ。




私は普段、このような「科学の眼鏡」を通して世界を見ている。別に普段からこの手の知識を周りの人間に披露して変な空気を作っているわけではない。自分の中でこっそりと楽しむだけである。

教育の現場にいると必ず聞かれることがある。それは

「なぜ勉強するのか?」

という質問だ。自分は決まってこう答えるようにしている。

「人生を豊かにするためだよ」

知識や教養は何気ない日常を輝かしいものに変える魔法のスパイスなのだ。身の回りの何気ない現象からも人一倍何かを感じ取れるようになる。しかもその効果は一生ものだ。勉強すればするほど蓄積されていく。

決して「理屈っぽい奴になれ」と言っているわけではない。「役に立つかどうか」という軽い判断基準は捨て、自分自身の人生をこっそりと楽しむために勉強し、この『科学の眼鏡』をかけて生きていくのはどうだろうか?



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