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〘メインマガジン〙自由と開放を告げ知らせる【ヨベルの角笛】

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このマガジンはメインのマガジンとなります。 千載一遇の聖書研究サイトへようこそ! 心理を探求するあなたの訪問を心より歓迎します。 先入観を捨てて、聖書を素直に、廉直な思いで読ん…
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記事一覧

「三位一体」を疑うべきではないという主張と、疑わざるを得ない聖書的根拠について

まず「聖霊」についてです。 確かに、キリスト亡き後、常に教会とともにいるようにと聖霊が遣わされましたが、しかし聖霊が「教会を導く」と述べている箇所は聖書中のどこにも存在しません。 以下はイエスが地を去る少し前に弟子たちに語られらたことばです。 《わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はそ

「異端」についての聞き捨てならない事実

「異端」という語を、語句索引をかけてみると、殆どの訳で、ただ1箇所しかヒットしません。その聖句をまず初めに引用しておくことにしましょう。 《あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、 2しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。》2ペテロ2:1,2 ここで「異端」と訳されているギリシャ

「子に口づけせよ」に見る創造者なる神の想いと願い

先ずタイトルに関係する詩編2篇を引用しておきましょう。 ここで、主に「仕えよ」と訳されている語は、ヘ語:アバドで「労働、耕す」などとも訳されていて、信仰を持つとか、信者になるということではありません。 例えば、創世記2:15には「人をエデンの園に置き、そこを耕させ(アバド)」という記述があります。 無理に訳せば、アダムを、エデンの地面に【仕えさせ】た。ということになります。 ですからここでの「仕えよ」は、神の目的に順応してその計画に協力するようにと言う要請と考えられます

「放蕩息子」の例えに関する考察

ルカの15章には、有名な「放蕩息子」の例えが記されています。 この記事を読まれる方々は,既知であろうと推測して全体の引用は省き、要所要所だけピックアップしみました。 《父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。  もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。》15:18 《父親は僕たちに言った・・食べて祝おう。」22,23 《この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったか

改めてなぜ「北の王」=「反キリスト」なのかをまとめてみました

「北の王」の正体と企てに関する考察 「北の王」に関連する描写はダニエル7章 /8 章 /11 章にあります。 8章の方は「北の王」という名ではなく「一本の角」と描写されます。 そしてこの表現から、7章の 4 頭の獣の 4 番目から出る「一本の角」という表現からこ の一人の人物の特定に導かれます。 《この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そ してその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。 そのうちの一本の角から、

ダニエル7章の幻は「終末期限定」であるという証拠

この記事ではダニエル7章の時系列を再検証します。 《海から四頭の大きな獣が上がって来た。それぞれ異なる姿をしていた。》ダニ 7:3 そして続く節で、獅子と熊と豹が紹介されます。そして7節で実在するどの獣にも似ていない非現実的な獣が登場します。 《この後、私は夜の幻を見ていた。すると、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、不気味で、異常に強く、大きな鉄の歯があり、食らい、かみ砕き、残り を両足で踏みにじった。これには、前に現れたどの獣とも異なり、十本の角があった。》ダニ 7:

永遠の命を得ることはクリスチャンになることに依存しないという聖書的根拠

いきなり、センセーショナルというか、前代未聞のタイトルになってしまいましたが、このテー マは、キリスト教として知られる信仰の基本中の基本とも言うべきもので、ある牧師の言葉を借 りれば、「キリスト教(新約聖書)は「永遠の命」の宗教です。 キリスト教の救いとは「永遠の命」を得ることです。キリスト教における信仰者の究極的目的は「永遠の命」です。」と表現されるく らいで、これを外したら、キリスト教は成り立たないと言われています。 しかし、(様々な宗派があるにせよ)ほとんどのキリスト

死なれた直後の[眠っていた多くの聖者の体が生き返った(マタイ27:52)] に関する合理的な考察

まず該当聖句の前後を引用しておくことにしましょう。 《イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。  そのとき・・墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。  そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。  百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。》マタイ27:50-54 キリストの復活前に、聖徒の復活があったという、誰でも首

コリント I 11 章の女性のかぶり物についての考察

 パウロが論じているクリスチャン女性の「かぶり物」(ヴェール)に関する記述は、非常に解 りにくいと言われています。 これに付いての詳しい解説も多くはありませんし、あっても、どれもあまり当を得ていないよ うに感じます。 たいていの説明は、『女は礼拝の時、神が定められた「男の権威」に対する認識を持っている 事を現すものとして「かぶり物」が必要』。と言うようなものが一般的なようです。 しかし、文脈を注意深く読んで行きますと、単にそういう問題ではないことが解ります。 今回は、この点

「最後の審判」に関する一般のデタラメ千万な解説を正す

 この記事は《「万人救済」に関する聖書的根拠について》という記事の続編という位置づけになります。 《神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。》1テモテ2:4 「望む」と訳されている原語は「セロ」という語で、聖書中の他の多くの箇所で「御心」とか「意志」などと訳されています。 神が望み、そうする意図をもっておられるのは、「すべての人が」単に「救われる」ことだけではありません。 すべての人が「真理を知るに至る」ことです。これは神のご意思なのです。

[ キリスト教 ] の [ 地獄の教理 ] の嘘/誤りを完璧に証明する聖句

ある質疑応答の形を採るサイトに、このような解説がありました。 では最初に、ここに参照されているローマ5:12を引用しておくことにしましょう。 《このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。》ローマ5:12 つまり、すべての人間が地獄にゆくのは、アダムに起因する「原罪」に基づくというのが、その根拠とされています。 では動物はどうなりますか。哺乳類、爬虫類、魚類、鳥類など。

[キリスト教]の[魂]に関する教理の間違いを徹底的に論破する

 あなたにとっての「魂」とはどんなイメージですか。 まず、一般によく見られる「たましい」に関する解説を数例挙げてみることにしましょう。 改めて、再度お尋ねします。あなたにとっての「魂」とはどんなイメージですか。 今冒頭に引用した解説とほぼ同じですか。 では次に挙げる「神のみ言葉」が実際に述べるところからすれば、それは今一度確認してみる必要がありそうです。 上に引用したヤコブ 2章26節などは、解釈の違いでもない、ただの嘘です。 この聖句の「たましい」と訳している語は「

「永遠の破滅という刑罰」などの訳はみな誤訳であるという聖書的根拠

《主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。》2テサロニケ 1:8 この記事では主に【2テサロニケ 1:8,9】の聖句を中心に扱います。 ここで「罰を与える」と訳されている語は「ギ語:エクディケシス」です。この語をそのような断定的な語に訳すことが不適切であるという幾つかの聖書的根拠をあげてみましょう。 《まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために【裁き】(エクディケシス

遺伝子の設計から神の実体を探る 第四章

■第四章 子なる神と人との関係 聖書中の様々な箇所で言及されていることから明らかなように、キリストとして住まれた元の存在、つまり「独り子、言葉、ロゴス」は私たち人間の創造に与ったのですから「神」と呼ばれる正当な方であることは明白です。 これまでに、神とみ子との関係、そして両者と人問男女の関係について考えてきました。 最終章として、み子と人間との関係についてさらに考察を深めたいと思います。 ここで、これまでの四つの記事の中で述べてきた要素がすべて合体することになります。