夢を叶える事務
坂口恭平さんは好きだが、事務?関係ないかな…とスルーしていた本。書店でふと開くと、漫画だったのにも驚いたし、何やら大事なことが書いてありそうだ、と思ってやはり購入した。
漫画なのですぐに読めて、2回読んだ。
事務、というのは所謂事務職のことではなくて、何かをするための方法、ということのようだ。
自分がやりたいことをするための、お金の管理と、スケジュールの管理をすること。やりたいことを実現するための方法。
以前坂口さんの、テスト勉強の方法についての中学生向けの本を読んだが、それに書いてあったのと同じ。やり方=事務さえ正しければ、イメージしたことは必ず実現できるという。
それについては私も思い当たる気がした。
私は高校に入った時上京したが、試験の倍率はそれなりのものだった。中学生の私は、それでもそこに行くことが自分が生きていく活路だと、それしかないのだとたぶん無意識によく分かっていて、そのことを面接や作文で正直に伝えた。周りの子がその高校に行きたい模範的な理由を述べる中で、私は自分がそこに行く目的を自分の言葉で率直に話した。合格して周りの人は驚いていたが、私はそれほど驚かなかった。自分の目的と方法が合っていることが分かっていたからだ。
就職するときの採用試験でもそうだった。今でこそ倍率がほとんどなくなってしまったという教員採用試験だが、私は誰でもとれる名前だけの免許しか持っていなかったため、その枠の倍率は笑えるほど高かった。
それでもさっさと合格して就職するしかなかったので、私はハッタリでもとにかく自分をめちゃくちゃ大きく見せる、優秀に見せる方法をとった。試験と面接通してとりあえずなんかすごい人みたいに見せる。ハッタリしか活路がない、ということがよく分かっていたのでそうした。私にとっては目的を達成するための実際的な方法だったのだ。
その時合格したのも私にとっては分かっていたことだった。私がすごい人だから受かったのではなくて、方法が間違っていなかったからだとよく分かっていた。
当然一時的にすごい人に見せただけなので、就職すればボロが出る。仕方ないだろう、でも何かしらの立場を得ないと、収入を得ないと、自分がこの世界で生きていくことができないので、そうしたまでだ。
要するに私は事務でここまで生きてきたのだな。それしかできないという劣等感のもと。私のASDみは事務には長けている。目的のために効率的なやり方を考え出すことができる。そう考えると事務は希望だ。
坂口さん家に住むジムは言う、才能があるかなんて誰にも分からない、分からないまま好きなことを永遠にやり続けるための装置が事務なのだと。
坂口さんがすごいのは、自分が本当に好きなことだけをやり続けるために事務があると言うことだ。楽しくないこと、やりたくないことのためには一片も時間を使わない。そういう将来を今の現実と結びつけるための計画、方法。本気で事務をすればそれができる。
私は好きでもないことのために事務をしていたのだろうか。そうでもないと思う。私は私が本当になりたい姿で生きていくために、理想に近づくために一生懸命その方法を考えて、突拍子もなくても身の丈に合っていなくてもとりあえずそれを実現した。場を手に入れた。何かを叶えたいとき私は確かにノートを書いていて、その傍にはジムがいたと思う。
それからどうしたか?相変わらず何かになろうとしてなれずもがいている気がする。さてジムよ、次に叶えたいことは何だろうか。いい加減、好きなことは見つかったか?ずっとやっていけそうなことは?そんなことも事務は叶えてくれるの?
今の自分が好きなこと、やり続けたいことを3つに絞ってノートに書いた。坂口さんであれば、文章を書く、絵を描く、歌を作る。私にとっては。
事務を回していくポイントは、人目を気にしないことであるように思う。就職して結婚して、人の中で普通の道を歩いているとき、事務は止まっている。でもこれは私の人生なので、そろそろまたジムに来てもらっていいような気がする。自分のことは自分で考える。夢を叶えるために事務を回していく。そうしなければ何も手に入らないからだ。そういう人生もいい。でも昔から私はそうではなかったな。ノートを開いてまたジムに来てもらう。すごくワクワクする。