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自閉文化を知る旅

今の職場を年度末で異動になる。
落ち着かないような、もう諦めがついたような、中途半端な気持ちだ。
ここで6年勤めた。同じ場所に6年もいたのは初めてだった。小学校6年間以来だ。

それまで私は、どこにいてもなるべく早く出ていってしまって、とにかく落ち着きがない人間だった。
高校で家を出たり、大学でもバイトやサークルを点々としたり、就職してはすぐ産休に入ったり、引っ越して異動したりした。
もちろん無自覚にしたことだけど、そうでないと落ち着かなかったし、そうすることで何かから逃げて、自分を守ってきた。
どこにいても、誰とも大して繋がらない。いつもすぐに見送られている。みんな、去っていく人間には優しい。無難に、なんかいい人風に、すぐになかったことになる人間。
書いてみればあまりに虚しいが、その通りな気もする。実家にすら15年しかいなかった。その後ずっと根無し草だった。どこにも居着こうとしなかった。誰にも心配されたくなかった。一人で生きられると思われたかった。別に大丈夫だからと。
愛される自信がなかった。受け入れられる自信がなかった。
だから逃げ続けていた。もしくは、愛せない自分が不安だった。当たり前のことに興味をもてず、いつも不貞腐れている自分が。


そういう自分が、今の職場に6年いた。特に異動する必要もなかったので、大人しく居続けてみた。病休にもならず厄介払いもされず年限まで居続けた。これは、不思議な感じだ。
この6年間で私は30代になり、子供は保育園から小学生になった。
私は毎日職場に通い続け、同じ学部で2サイクル分の学年を見て、夫は時短のパートで子供の送り迎えをし続けた。

引越しでこの職場に来る前、私は新しい場所に行ったらそれなりにたくさん友達ができる自分を夢見た。というか、本気でそう考えていた。
娘や自分が、地域の友達などを家に呼べるだろうと思った。職場の人とも年々繋がりができるだろうと思った。
2年くらい経って、年度末の新体制の発表の頃、また自分が、来年こそ周りの人と打ち解けて、馴染んで、楽しく過ごしている姿を想像していることに気づいた。そして、たぶん来年もそうはならないぞ、と。
初めて自分の中で一つの諦めが生まれた。ありもしない自分の姿を思い描いている。私はどうやらそうはならない、来年もこのままだろうと。

そして、この職場で気付いた最も重要なことがある。
3年目くらいで、初めて自閉症学級をもった。
コロナ禍で黙々と食べる給食中、どこからともなくブーンと唸る音やプツプツと小さな独り言が聞こえている。普通学級では音楽でもかけておかないと気まずい沈黙が流れたが、ここでは何故か居心地が悪くない。全員が自分の世界にいる。
普段から彼らはよく独り言を言ったり、言った言葉を何度も繰り返したりしている。いつもは自分の内の喜びの世界に生きていて、人に言われたことには従わなければならないと思っているし、視覚支援には自動的に反応してしまう。
そういった人が何人も集まっている様子を見て初めて、彼らが特徴的にしていて、他の人はどうやらしていないことが見えてきた。
そして、これは自分ではないかと気付いたのだ。

私は油断すると気になった言葉をつい繰り返していたり、失敗したことを思い出すとどこでも構わず声が出てしまったりする。
高校生の頃には、恥ずかしいことを思い出すとうわ〜と声を上げて隅っこに行くとか、頭を掻きむしるなどの癖があって、親しい友達にはそういうところを面白がってもらえるものと思っていた。
今も家族の前では自分が気に入っている変な言葉をいつも使って、それ何なのと言われるとびっくりする。
そういう自分の変なところは、要するに彼らと一緒だ。


大学生の頃、人と親しくなれないことを相談室のおじいちゃんのカウンセラーに相談していたときには、自分は非言語性LDではないかと思っていた。ほとんど表に出ないまま消えた名称だか、要するにそう言った発達障害ではないかという気持ちはあった。そう思えばまだ救われる、自分が悪いのでないのだと。
その次にこれだと思ったのは、細川貂々さんと水島広子先生の本だった。水島先生の言葉で言えば非定型発達、それによる気分変調性障害。でもそれは要するに自閉症であると。
そうして、彼らのことを特別支援の教科書の知識だけでなく、実際に理解することができるようになってきて初めて、私は自分のことを理解した。
私は彼らの仲間だったのだ。どうしてこれまで気付かなかったのか、信じられない。でも、これでようやく謎が解けたと。


先日SNSで偶然見かけて、『ASDとカモフラージュ』という本を読んだ。
前に読んだサラ・ヘンドリクスもそうだけど、海外では女性の当事者の研究者が出てきていて、そういった本が翻訳されていて大変有り難い。
実際彼女らの本のおかげで、女性のASDが男性のそれとは様相が違うことが証明されてきている。私自身、男子をベースとした自閉症の知識をいくら勉強していても、自分に当てはめることがなかったように。
女性のASDは、人に興味があるし、むしろ人をシステムとして理解することにこだわっている場合がある。人の感情にむしろ共感しすぎてしまうことがある。そして適応のためにカモフラージュすることで、メンタルヘルスを崩す場合が多いこと。
実際に著者も、長年にわたる無自覚のカモフラージュによって、自分の好きなことが分からなくなり、うつ状態に陥っていて、その改善のために取り組んだマインドフルネスなどをワークを紹介している。
ASD者が陥る慢性的なうつ状態とは、水島広子先生の言う気分変調性障害のことだ。自己否定をやめて本来の自分が好きなことにアクセスするための考え方は、双極性障害の坂口恭平さんが教えてくれているものと同じである。自分の感情を受け入れるマインドフルネスは、心理士の伊藤絵美さんが教えてくれた。
本田秀夫先生が、発達障害者と周囲で問題となることは、ほとんど感情の問題だと言っている記事を読んだ。私たちは、失敗したと感じることでほとんど絶望に陥ってしまう。
そういう自分を救うための理屈を身につける。そうして私たちが本当の自分を捨ててしまうようなカモフラージュをやめて、ありのままの自分で生きていく勇気を身につけることで、多様性に寛容な社会をつくっていくことが本当に必要なことではないか。
私が自分の自閉症に気づいてからやってきたことは、まさにそれだった。同じことをしてきた人がいる。そのことにどれほど救われるか。よくここまで来たな。

私は6年間同じ場所にいて、全然周りと仲良くならなかった。ずっと浮いていた。それは今回やってみて初めて分かったことだった。
どう思われているかは全く分からないが、必要な話はするし無難に周りと関わっているつもりでも、何かやっぱり周りのようには関係性の中に入っていけない。
それでも、仕事をすることは楽しかった。毎年担当した生徒と教科によっていろいろ勉強しては、自分でやりたいことを決めてやる自由がある。人の前で何かをしなければならないプレッシャーは耐え難いものがあるが、正直な反応を返してくれる子供が相手であることは救われる。求められている仕事を自分なりの手順で把握し、マニュアル化してルーティンに落とし込むことで、何とか仕事をこなしている。そういうシステム化が得意であることが分かってきて、そのやり方で職場に貢献できそうな部分はやっていく。そしてコミュニケーションはなるべく無難に、口を挟まないように気をつける。
自分が、いかにも教員らしく子供たちも求めているような明るさや興味の幅や人間関係調整力を持っていないことが悲しくなることはしょっちゅうだが、それでも仕事はできているからいいではないかと何とか思えるようになってきた。


私と学校で出会う自閉症の子供たちで、唯一違うことがある。
彼らはもれなく、自分の好きなことをちゃんと持っている。自分の好きなことを誰かに遠慮したり恥じたりはしない。堂々と自分の興味を愛している。
私は未だに自分の好きなことがはっきり分からない。本が好きであることも人に堂々とは言えない。何が好きかと言われると止まってしまったり、無難なことを言おうとしてしまう。
つまり彼らは自閉症者としてこの世界で生きにくい存在ではあるけれど、適応しようとカモフラージュすることによる二次障害には陥っていない。私たちが無自覚に必死にこの世界に適応しようとすることでいかに傷つき、自分自身を失ってしまってきたか。そうしてこれからを生きる自閉症の彼らには、どのような社会で、どう生きていってほしいと願うのか。それは私たちがこれから、大いに関心を持って貢献すべき課題であるように思う。

だから私は、この姿のまままだこの仕事に居続けてみる。次の職場でも、馴染めないことを悪びれずに生き続けてみる。
自分で自分を守り肯定しながら、少しずつ人に頼むこともできるようになるといい。一人ではあるけど、毎年いろんなことを学んでいる自分にそれなりに希望をもっている。まだやれそうだ。




自閉症だった私へ

学生のとき
私にとって世の中は
わからないことだらけだった。
私のわからなさを誰もわかってくれなかった。
ないことにするしかなかった。
本当はあったのに。

働くようになって
愛する家族ができて
その人たちを大切にしたいという努力が
私を人間でいさせてくれた。

働く中で出会っていた
自閉症の人々が
ある日私に答えをくれた。
私はここにいたのだ。
私の世界はここにあった。
この世界は確かにあると。

私は誰とも繋がっていないが
私の世界は認められた
だから一人ではない。
今もわかってはもらえなくても
私が知っている。
私の世界はここにある。
仲間もいる。
彼らの世界を私も知る。
だから一人ではない。

私は私の名前を呼びたい。
ここにあるのを知っているよと
もう大丈夫だよ
世界は一つではないよ。

(2023.6.11)

謎が解けた頃に書いていた詩。


冬なのにパフェを食べてみたらめっちゃ幸せな気持ちになった。

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