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15年越しの冒険

人生で最も夢中になった本、生まれて初めてハマった本は、と聞かれたら、正直言いにくいのだけれど、間違いなく言えるものがある。

ハリーポッターシリーズは、私が小学生の頃話題になり始めて、1巻と2巻を母が買ってきてくれた。それから3巻、4巻と、数年ごとに出版されるのをものすごく楽しみにしていた。
4巻までを穴の開くほど読み込んで、映画も楽しんで、5巻の日本語訳を待っていたときが私にとってのブームの最高潮であった。
結局5巻は高校生になった頃出版されていたけど、きちんと読んだ覚えがない。


娘が好きなお笑い番組に出てきた、ハリーポッタースタジオツアーに行きたいと言い出した。娘も映画シリーズは好きで一通り観ている。(メガネのお兄さんに本能的に好感を持ってしまう子どもは一定数おり、幼少期の娘もそうだった。)
せっかくなのでチケットをとって、暇な時間に一つずつ映画を見返した。私がこれほど好きだったものを、娘や夫も面白いと思ってくれることは嬉しい。
あんなに好きだったのに。本はもっと面白いのに。

お盆休みに入った日、私は読んでいなかった6巻と7巻を図書館に借りに行った。大量の冊数に分かれた文庫版もあったが、昔のハードカバーのものを出してもらった。4冊のどでかい本を抱えて、これぞ夏休みだ。

初めは普通に読んでいても、終盤に近づくともう止めることができない。読み終わるまで目が離せない。隙があればずっと本の前に座っている。
分かってはいた。だから手を出せなかった。だから15年も経ってしまった。
こんなに好きなものを、読めなかった15年とは、いったい何だったのだろう。


映画も最高によくできていて面白いのだけど、本はやはりそれを超えてくる。
7巻の映画のド派手なシーンの数々が、全く原作の通りだったのには驚いた。そして映画の時間内ではいまいち消化不良だった謎が、最後までに全てきちんと説明される。
これだから好きだ。見事な伏線回収の気持ちよさはハリーポッターで知った。これは最高の推理小説でありエンタメ小説なのだ。

私が子どもの頃に読んでいた4巻までは、小中学生が楽しむファンタジーの要素が強い。やはり5巻以降は、物語が深刻になるのもそうだが、ハリーの成長にしたがって内容が大人向けになる。
子どもの頃は、好きになったが故の思い入れが強く、些末なことにこだわって、最後までこの物語を楽しむことができなかった。今になって初めて分かるよさがあるように思う。

物語全体を通して、ハリーや魔法界全体を導く最も重要な存在はやはりダンブルドアだ。私はこの人物が最後までハリーに教え、励まし、褒めてくれるのかと思っていた。
しかし最後にダンブルドアはハリーに対して自分の弱さを打ち明け、許しを乞い、涙を見せる。ここまで毎度毎度嫌になるほど友達と対立したり、周りを疑ったり傷ついたり時には傲慢になったりしながら、それでも7年間等身大の成長を遂げてきたハリーポッターこそが、真に闇の帝王を倒すべき存在であると言う。
大人は子どもが思うほど偉くも完璧でもない。後悔や情けなさを十分すぎるほど味わってなお生きているのが大人であって、それでこそ分かる若い人の偉大さというのもあるのだ。
本当に教え導くということ、次の時代のために生きるということをこれほど体現する存在はない。


スタジオツアーのオープニングで、ローリングがこの物語を構想した頃の状況を初めて知った。無名の女性が突然に億万長者の作家になるという有り得なさも、大人にならないと分からなかった。
本当に何もないところから、ゼロどころかマイナスの状況から、たった一人真剣に魔法の世界を形にしようとし、夢を実現しようとしたから、この物語が生まれたんだ。なんだか、ありがとう。
この本が好きだ、自分にとって大切な物語だと今素直に言いたいと思う。


ダンブルドア先生!
校長室
夢のバタービール!(胃もたれした)
ホグワーツ城

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