それでもいいんじゃないか
夏休みに入ったので、やりたいと思っていたことを次々にやるようにしていると、たちまち毎日が過ぎていく。
まずは自分と娘の弁当を作ること。これがとにかく苦手で、事前にインスタの動画で調理工程のイメージをもち、いつもより早く起きて、せっせと作るが、うまくいくことはほとんどない。普段料理をしないので、自分が食べる量や作り方、味付けなどに全く見通しをもてないのだ。それでも少しはできることを増やそうと思ってやっている。やってみることが大事なのだと思っておく。
あとは読みたい本を次々買って、毎日鞄に2、3冊入れておくが、あれもこれもと広げすぎて結局なかなか読み終わるものがない。気になるものをいろいろ読みたい、すぐに読みたい、読み終えるのを待っていられないという状態。
それと無地のノートを買ってスケッチの練習をしている。なるべく毎日何でもいいから書きたいと思っているが、描き方も道具も定まらなくて半信半疑な感じだ。絵画教室は日程が合わずしばらく休みにしてしまったので、自分で一つ大きな作品も描きたいと思っているが、そちらはやはり何を描こうか思い浮かばない。一応諦めずに考えてみようと思っている。
そしてもう一冊買ったノートがあって、それは「研究ノート」という名前にした。この夏の重要な課題として、自分の研究テーマを決める、ということを課したのだ。
今の仕事についてそろそろ10年になる。6年いた職場を今年で異動になる。このままでいいのか、これからどうしたいのか、考えなければさすがにやっていられないと思った。
今困っていること、しんどいこと、何をしたいのか、何を知りたいのかを、書いて考えなければよく分からないと気付いていた。書いてみることには怖さもある。言葉ばかり空回りして現実が伴わないのが昔の自分だった。ノートに自分語りを延々と書くのは虚しい。書いたところでどうにもならない。そう思うのは、10年前の就職活動の時にした自己分析を思い出すからだろうか。
あの時書いていたのは、面接用に売り出すための自分。まだ何の経験も実績も収入もない自分から絞り出して、無理に取り繕った、変なリクルートスーツと黒髪の、やたらハキハキした外面の自分だった。
でも今は、少なくとも10年自分でお金を稼いでいて、貯金もあって、家族がいて、大きくなっていく娘と共に生きている自分である。その今の自分が、やりたいことをもう一度考えるとしたら。何をしてもいいとしたら。今書いてみることは決してつまらないことや苦しいことではないだろうと思った。
一人で喫茶店に行けるときに、ノートを開いて、考えたいと思うことを少しずつ書いている。
事前に決めなくても考えたいテーマは次々と出てくる。これまで一人で考えてきたこと、研究してきたことはたくさんある。
今自分が悩んでいる原因、苦しいと思っていることを考えたとき、人のようにできない、理想のようにできない、こうでないからダメだ(この仕事はもう続けられない)という気持ちがほとんどだった。
でもできないことの反面、できていること、自分の生かせている部分があることにも気付いている。だったら、今できないことはできなければいけないことなのか?何でもかんでもできなければダメなのか?そうではないような気がする。
夏休みの前にコロナになってまた仕事を休んでしまった。休んでいる間は本当にいたたまれない気持ちになり、もう続けられないと思ったが、休みに入ってから出勤すると、周りの人は何の違和感もなく当たり前に労ってくれた。何事もなかったかのようにそこにいさせてもらえた。辞めようと思っただなんて冗談でも言うのはおかしい感じがした。
休みの間の職員室、人と無難な会話をしようと無理をする気はないので、特に何も喋らず休憩時間は本を読んだりして過ごしている。学年の雰囲気を和らげたりできなくて申し訳ないなと思う。でも無理をしないありのままの私はこうなのだ。これが私の普通なのだ。もちろん、こうだったらいいなと思うことはいくらでもある。でも、そうでなければいけないとは誰が言うのか?そうでなくても別にいいんじゃないか?
子どもと接するとき、他の人と接するとき苦しいのは、私が私に対して納得できないから、許せないからだ。私は私に許してもらえなくて、ダメ出しされて苦しんでいる。
今の私は全く完璧でも理想的でもないし、これからもずっとそうだが、そういう自分が自分であるともう認める。他の人と比べるのを完全にやめる。もちろんずっと気付いていたつもりでできなかったことだ。でも決めないといけないと思う。
仕事が本格的に始まればいくらでも落ち込むこともあるだろう。パニックになって自己否定に陥るだろう。でも否定しているのは誰なのか?落ち着いて考えることだ。少しずつ。
そしてうまくいかないことがあっても、自分のことを悪くないと思えるように、指摘されてもすぐ怒らないで済むように、自分の好きなこととできることをなるべく増やしたいと思う。
せっせと絵を描いたり文章を書いたりするのはそのためだ。一生懸命できること貯金をしようと思っているのはそのためだ。
いつものことだが夏は忙しい。