無意識って、安易に怯えてしまうよね
こんばんは。1ヶ月前に読み終わった本の感想が長すぎて、先にこの本を読み終えてしまった。その本の感想もまた、載せます。出来るだけ、近いうちに…笑
今回は、
星新一の『悪魔のいる天国』という本を読んだので、その感想を。
様々なものがデジタル化・合理化された近未来の題材が多かった。あと、宇宙を題材にしたものも。まあ、宇宙も広い意味で近未来に入るのかな。
私はその中で『殺人者さま』という作品が好きでした。好き、っていうかこの中で一番緊張感があって、よくできてるな…と感心してしまった。
今回は、この作品について書こうと思う。
バンっと急激に作品の世界に自分が取り込まれて、登場人物として扱われてしまう。女が自分に話しかけていることに気づいた瞬間、鳥肌が立った。
Undertaleとかドキドキ文芸部とかもあるよね、こういうの。懐かしいところでいえば、『はてしない物語』とか。(私今よくこの題名すっと思い出せたな…)
不審な電話をさっさと切るっていうことをやったことがない人の方が少ないと思うのだけど、そういう、「皆がなんの罪悪感もなくやっていること」を見つけるのがうますぎる、と思う。なんなら、迷惑かけられたーとすら、思うよね、ああいう電話って。
正直、電話を死刑宣告の道具として使う女の方に責任があるのであって、電話を切った我々に責められるような罪は全くないはずなのだけれど、不思議なもので、今まで人を安易に、無意識に、殺めてきたかのような気持ちになる。
絶対に星新一の意図とはずれていることは分かっているのだけど(というか、星新一が作品に対してそもそも教訓的な意味合いを持たせているとは到底思えないのだけど)、無意識に人を殺めている可能性っていうのを私は結構考えることがある。
大体その可能性というのは、自分が発した言葉に秘められていて、
あの言葉、相手にとっては凶器だったのでは…?
とか
ああいう言葉を発するような人間だと思われたら
とか
相手にちょっとした失望の気持ちを味わせていたら
その失望が積もって大きな傷になっていたら
とか考えてしまう。
最近この症状は割と落ち着いたんだけど、それでも尚、ネガティブな気持ちに寄っているときは無限ループにはまって、結局私のせいで私側が傷つくという顛末なんよね。
話は戻るけれど、そういう「他者に対する無意識の攻撃」をこの話は皮肉っているというか、責めているというか。そういう感じがして、少し嫌な気持ちにもなった。
無意識なんだから仕方ない、わけはない。絶対にやらない方がいいに決まっているし、意識的にやらないようにしていかなくちゃいけない。そう思うのだけど、その無意識に怯えて、自分を無為に傷つけてもいけないとも思う。
不意の言葉・行動に、少しでも自分の意識を混ぜ込めたら、きっと他者も、私も、楽になるんだろう。会話のノリとか楽しさとかを優先してしまう私には、それはとても難しいことだ。テンポ感を犠牲にするリスクを抱えて、しっかりと考えて会話をすること自体、少しつまらないとすら思ってしまう。
でも、ゆっくり考えて喋る友達が出来てから、何を考えているんだろう、って想像しながら相手の言葉を待つ時間もかなり好きになった。
私がゆっくり会話しても、相手はきっと楽しいと思ってくれるはず。それなら、ゆっくり考えて喋ってもいいかもしれないな。
相変わらず論点ずれずれですね。こういう1人連想ゲーム、好きなんだけどね。
今回はここまで!読んでくれてありがとう。
次は『舟を編む』を読むつもりです。またね。