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老母と私の農作ノート87


二階からの眺め

今日は休みだった。実家に帰り、老母と顔を合わせたが、のんびりする暇もなく、先日同様に二階の片付けを任される羽目になった。実家の二階といえば、私の記憶では物置のような場所であり、かつての自分の部屋だった形跡をかろうじて残しつつも、今では古びた家具や段ボール箱、埃まみれの雑貨が所狭しと押し込まれている空間だ。壁には学生時代に買ったご当地ペナントや、中学の時に合格した英検3級の証書などが張ってある。

「全部捨てていいから。」母は何の感情も込めずにそう言った。私は「全部」と言う言葉をそのまま真に受け、二階に上がり、すぐに作業を開始した。引き出しの奥から出てきた学生時代のノート、半端な数の靴下、かび臭い古着。どれもこれも、ここ数十年見たことも触れたこともないものばかりだった。いちいち確認していては終わらない。私は潔く、全て捨て去るつもりで次々と二階から下に投げ下ろした。

しかし、私の決意を無視するかのように、母が一つ一つ拾い上げる。古びたブラウスを手に取り、「これ、まだ着られるわ」と目を輝かせる。そのブラウスが最後に日の目を見たのはいつなのか、記憶すら怪しい。「いや、もう不用品だよ」と言っても、母はガンとして譲らない。気分次第で判断が変わるのが母の特徴だ。「これは捨てていい」と昨日言ったものが、今日は「やっぱり使える」となる。逆に、本当に必要そうなものでも平気で「いらない」と言い放つことがある。

二階の片付け

母の気分のムラに付き合いきれない。これも、昔からそうだった。買い物でも同じだったし、家族旅行の計画を立てる時もそうだった。「これに決めた」と言った翌日に、「やっぱりこっちの方がいい」と言い出す。家族はそれに振り回されながら、どこか呆れつつも、彼女の気分に合わせることを覚えていった。

今の私は、そんな母を説得する気もなくなっている。「まあ、こっそり捨てても何も言わないだろうけど、そこまではしない。」そう心に決めている。母の感情を尊重することが、結局のところ自分の平穏にも繋がると分かっているからだ。

二階からの眺めは変わらない。埃の匂いとともに、何十年分の思い出と雑多な物が押し込められている。その中からどれを捨て、どれを残すか。母との静かな攻防戦は、結局どちらが勝つでもなく、曖昧なまま続いていく。それでも、こうして休みの日に母と顔を合わせ、言葉を交わしながら何かをすること自体が、何よりも貴重な時間なのだと気づく。そんな感情が心に芽生えると、私はまた一つ、二階の荷物を下に投げ下ろした。

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