老母と私の農作ノート23
実は近々「フィッシング詐欺」について書いた本をAmazonKindleで出版予定です。前の書籍を出版するときはひと夏の時間を全て費やす感じで書きました。今回はそれよりも早く仕上がったのは慣れもあるのでしょう。しかし、早めに出版しないと実例で載せた詐欺の手口自体が古びたものになるという恐ろしい世の中。今月中には出版しようと思っています。
ただし、今引っかかっているのはペーパーバック版の表紙。電子書籍の方はなんとかなったのですが、ペーパーバックは表裏に加えて背表紙がある。最初の書籍はあきらめてココナラで表紙を作ってくれる人を探してお願いしました。
今回はなんとか自分で作ってみたいと思っています。絵の方はAIに書いてもらって文章は自分でと言う形にしました。
できないことは知識不足というのなら検索すればいくらでも出てくる時代。技術不足ならこれは技量を高めるしかないのは古今東西同じ事。
私の絵の技量については長女が三歳くらいだったときのエピソードをお聞きいただきたいと思います。
「キティーちゃん描いて」可愛い愛娘が私に紙を持ってきて差し出します。キティーちゃんか、どんな感じかは覚えているけど、たしかこんなんかなぁ。参考にする絵が見つからない、携帯もパソコンも普及していない時代でした。四苦八苦してできた絵はキティーちゃんはおろか猫とも犬とも分からない代物。
娘はその絵を見て泣きました「キティーちゃんじゃ無い」
私ももちろんこの絵がキティーちゃんだと主張する気は毛頭ありません。ただ、ひたすら謝るばかり。書き直してもさらに泣かせる結果になりかねないので後は妻に丸投げしました。
妻に描いてもらったキティーちゃんをうれしそうに見ている長女は、その後二度と私に絵を描くように要求することはありませんでした。私の絵心のなさは致命的です。
そう言えば、吾が老母も絵には関心が無かった気がします。農作業は好きでも絵を描くことは誰もしなかったわが親族達。これも血筋かな。
妻の方は絵を描くことには慣れているようです。息子なども絵は当時の総理大臣海部俊樹さんからの賞をもらったことがありました。小学校低学年だったと思います。ただし、成長した今は絵には全く関心が無いように思います。
血筋と環境の影響はいかんともしがたい。高校生の時の芸術選択は音楽でした。ピアノとギターは少しなら演奏することができます。バンドを組んでベースギターなども弾いたこともありました。