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老母と私の農作ノート93

月曜日の朝は、まるで遠い宇宙から一週間の使命を背負って地球に舞い降りたかのような重苦しさがある。日は昇り、時が流れる。しかし、なぜかその日は遅々として動かない。多くの人々がこの「月曜日」という存在に重圧を感じるのも無理はない。実際、私も例に漏れず、月曜日の朝はまるで重力が増したかのような気分で、祝日のように気楽にはいかない。

ところが、午後五時の針が近づいてくると、不思議なことに心の中にさざ波のような安堵感が広がる。そう、帰る時間だ。これほど人間にとって心温まる瞬間があるだろうか。一週間の始まりからしてこの調子なのだから、何事も楽観視せず、限られた時間内に次の週末を夢見ながら日々を過ごすのが私たちの切実な務めである。

そうこうして毎週末には実家に戻り、心からの“非日常”を味わうことにしている。そして、この忙しい日常の中で、私にとっての気分転換は、“植物と向き合う”という意外にお手軽な趣味だ。特に最近では、家庭菜園というものに深い興味を抱くようになっている。

挿し木したブルーベリー

ブルーベリーを挿し木で増やす計画は、思いのほかエキサイティングなものだ。きっかけは、YouTubeで偶然見つけた動画だ。画面の中の彼は、魔法の手でブルーベリーの枝を次々と増やしていく。その様子に魅了され、週末に実家で試してみようと思い立った。

もちろん、私のこの計画には一つだけ心配事が伴う。老母だ。家庭菜園の先輩である彼女は、大根やタマネギの栽培には一日の長がある。しかし、それが仇となってか、土はアルカリ性が良いと決めつけている。彼女が土壌改良に使用するのは、たいてい灰や苦土石灰だ。彼女の目にかかれば、薔薇の花も同じ運命に陥る。彼女が無邪気に灰を巻いたその瞬間を目撃したときには、急いでそれを止める必要があった。

当然、ブルーベリーの繊細な挿し木にはそれは絶対にNGだ。ブルーベリーは酸性の土が好きなのだから。何度説得しても、彼女の中ではブルーベリー栽培は遠い夢のままだろう。決行された以上、私は彼女の不安定な記憶力に頼るわけにはいかない性分なのだ。挿し木をした後、鉢は即座に持ち帰ることを決意する。ベランダで、慎重に愛情を注ぐ計画だ。

白いバラ

水を欠かしてはならないブルーベリーにとって、老母の物忘れはまさに致命的だ。家族の力を借りて、挿し木の成功を見届ける私の日課が一段と増えた。しかし、それでいてもブルーベリーの枝は、時を経て私のベランダで花を咲かせる希望を与えてくれるだろう。

そんなこんなで、ブルーベリーは私の日常に新しいリズムを与えてくれる。日々の喧騒を間抜けにし、母のユーモラスな日々との共演は、些細なことに見えて、意外と人生の豊かさを思い出させてくれるのだ。振り返れば、月曜日はそこまでつらいだけではないと気付くかもしれない。そして、帰る時間がいつも安堵をもたらしてくれるのも、これまでの経験があってこそだと痛感する。実家での時間が何よりの特効薬だと信じ、これからもこのユーモラスな旅路を楽しもうと思う。

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