【読書記録2】アントン・チェーホフ「ねむい」

※注意※
 この記事は2022年12月にカクヨムにて公開したものを転載しています。


 アントン・チェーホフの短編小説「ねむい」を読んだ。
 はじめて読んで真っ先に思ったこと。それは、「なんて気持ち悪くて、なんて気持ち良いんだろう」ということだった。

 八百万の神といい、なんにでも神を宿し、どんな神でも信仰する日本という国において、キリスト教が色濃く出る話はなじみづらくも感じる。(かくいう私もまた、神はいないといいながら神を信じるめんどうな日本人の一人である。)

 しかし、どうしてか「理解」してしまうのだ。

 思わず口から洩れるのは、「わかる、わかる」という言葉。頷きながら、同情し、この話の結末を仕方がないという一言で片づけてしまう。なんとも気持ち悪い感覚である。

 話は、父を亡くし自ら働きに出ることとなった少女:ワーリカが赤子をあやしているというものである。たった一部分の夜を切り取った話である。少女はただ赤子をあやしているだけ。それ以上のことなどしていない。子守唄を歌い、ゆりかごを揺らす、ただそれだけである。

 そして夢を見て、現実に戻り、夢を見る。そして、戻る。

 戻ったかと思えば、とても少女がやる量ではない仕事が一日中課される。

 そして、またねむい時間がやってくる。

 それだけなら、どれほどよかったことだろう。主人たちは、大切なものこそ肌身離さず置いておくべき、であった。ワーリカは、気付いてしまう。自分の眠気を妨げるものがなんであるかということを。そして、それは仕事をむやみやたらに与えてくる主人たちなどではなく、目の前で、人間の命にとって必要な睡眠を妨げる最大の要因で、この世で最も無力で儚いものであることに気付いてしまう。

 どうして我々は、「赤子は守られるもの、守るべきもの」と錯覚してしまうのであろうか。バトルロイヤルであれば、いち早くやらねばならないだろう。簡単、なのだから。

 ワーリカは、それに気づいた。気付いてしまった。だから絞殺してしまったのである。おそらくは、泣き声を発する喉元をめがけて、少女のか弱い両手で……。

 普段は、倫理や道徳といった根拠もない薄っぺらいもので「赤子は無力なのだから守るべきだ」とおそらく皆が言うだろう。だがそれも、極限の命を目の前にしては、意味を持たなくなってしまう。なぜ、倫理や道徳は存在する? どうやってその存在に意味を見出していく? どうすればワーリカの手を止められた? 眠るより大切な倫理や道徳はいったいどこにあるのだ? 考えざるを、得なくなってしまった。心の中にもやができる。これもまた、気持ち悪い。

 眠りたいというたったそれだけの純粋な、無垢な、天使のような、かわいそうな少女の罪は、それ以外の大人にある。当時のロシアの時代背景は、わからない。しかしながら、かつてイギリスなどでは子供を「小さな大人」として扱うこともあったくらいだ。無垢と無知は支配の対象だとでも思っていたのだろうか。結局のところワーリカを、倫理や道徳の道へ乗せることのできなかった大人たちの自業自得のようにも思える。

 倫理や道徳が必要なのは、人間が理性をもってコミュニティを気付くからではなかろうか。
 マズローの欲求五段階説においては、おそらく第三段階の欲求、「社会的欲求」から広くコミュニティが築かれていくように思える。すなわち、それ以下の安全欲求、生理的欲求が満たされてなくては、意味をなさないということだ。それすら満たされていないワーリカに倫理や道徳を説いたところで無意味なのは目に見えてるのではないか? 彼女の罪は、社会の罪だ。

 ねむいワーリカは、赤子を殺めて、笑って。そして死人のように寝ている。
 彼女は、幸福になったのだろうか。ほんのひと時でも、彼女は救われたのだろうか。赤子は、ワーリカを恨みはしないだろうか。主人たちは、自分のことを棚に上げてどれほどワーリカに叱責するだろうか。そんなことすら知らず、ワーリカは永遠に眠ってしまうのか。

 たったすこしのこの短編小説。
 いつの間にか夢の中で、いつの間にか現実だ。なんて滑らかなんだろうか、まるで現実のように。

 この世におけるふつう、と思う人たちへ。私たちは倫理や道徳という概念を思案できる立場にいることを幸福に思わなければならないのかもしれない。

 得体のしれない気持ち悪さがもやもやと心を支配する。でも、それが、なぜか気持ちよく感じてしまうのだ。この小説を読んでいると、ねむくなったらねようと思える。徹夜は、よくないね。

 ねむたくなってから書く感想文の、なんと支離滅裂なことか。

■今回読んだもの
 チェーホフ「ねむい」青空文庫より
 (https://www.aozora.gr.jp/cards/001155/card51365.html)

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